役に立ったのは漢字の読みと地図の読み方くらい。まじで。子供時代に意味不明だったやつは大人になってもほんと使わない。俺の子供時代の直感は正しかった!!!無駄な勉強させるな!!!!!!
![小学校時代に意味不明だった勉強は大人になっても使わない](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
子供がYoutubeでヒカキンとセイキンを見つけて結構な頻度で見ていたのだが最初は特に問題はないだろうと別に禁止はしなかった。 その後いろいろとこのチャンネルに問題があるので禁止になるに至った。 我が家でこの2チャンネルを完全に禁止にしたのは、いくつか理由がある。 1 この方たちが経費でやっていることをまねしたがるようになる →例としてUFOキャッチャーを大量の100円玉を使ってやるなど動画の再生数を稼ぎ利益を出すためにやっているような行為を家庭ではできない 2 教養のまったくない内容 →動画が果てしなくつまらない、なんで見たいと思うのか疑問に思うほどつまらない。また子供にとっては大事な教養や道徳を磨く要素がほとんどない 3 ぶんぶんハローYoutube! →うるせえ 何回きかせんねん! 4 台風の時、台風の注意のような動画を広告入りで配信してた →SEO界隈にいたこともあり、すぐにわかる
中学3年の時、親にそんなことを言われてケンカしてから、どれほどの年月が経っただろうか。 そんな私は、某国立大の大学院を出て、参考書の編集者をしている。 幼い頃から、勉強だけは好きで、よくできた。けれども運動もコミュニケーションもへっぽこだったので、小中(公立)時代は同級生にいつもからかわれた。それ以上に辛かったのは、私が好きな勉強のことで、話が出来る相手がクラスにいなかったことだ。 「商業高校?とんでもない!君は普通科に行って、大学に入りなさい」 中学の時の担任は私に、世の中には進学校と呼ばれる、勉強が得意な人が集まって大学進学を目指す高校があることを教えてくれた。今振り返ればバカみたいな話だが、ネットが普及してない当時、塾に通わず、通信教育や家庭教師の類もやってなかった私には、そうした情報を得られる機会がほとんどなかったのだ。両親は共に非大卒で大学受験に詳しくないし、世帯所得も多くなく、
例えばなんだけど、同じアニメでもこのキャラって違う声優の声質とか演技の方があってそうだよなぁってこと結構あるじゃん? だからオーディションの最終選考まで残った複数の声優にも最後まで声を当ててもらって、自分の聴きたい声優のデータをダウンロードすることでイメージ通りの声優の演技でアニメ楽しめたら最高なのになーって思うんだけどダメかな? 同じアニメでも声優の演技次第で何パターンも楽しめるの良さそうだと思うんだよね。自分は1000円くらいだったら何パターンもダウンロードすると思う。 テレビ放送じゃなくてネット配信がこれだけ身近になってるからいけそうな気もするんだけどダメなのかな?
※オタク文 現実と創作は違う。それは知っている。 私は性別がどうであれパートナーと法的に結ばれたい気持ちを否定するつもりは一切ない。 でも現実で同性愛が普通になったら、創作上でどう扱えばいいのだろう。 一昔前の価値観のオタクは時代の流れについていけない。 どうやら同性愛を禁断愛だかタブーとするのは、もう古いという。 じゃあ「禁忌」としてのモチーフはどこにいってしまったのか。 教師と生徒は年齢が上がれば、よくある話。 不倫は離婚すればただの夫婦。 つまらない。もっと当人達ではどうしようもない壁で悩め。 その点、同性愛は完璧だった。 日本ではどんなに望んでも結婚できなかったし、普通でないと後ろ指を差す人が多かった。 それを解決するためのハードルも高く、八方塞がりなのがよかった。 創作とわかっていても夢を見るのにうってつけの題材だったのだ。 けれど、LGBTの当事者達が声を上げ始めた。認知が上が
つい先週のことだ。妹をいじめていた主犯格がようやく自殺した。 苦節7年、長かった。 私と妹は一回り以上年が離れている。兄弟喧嘩が起こる年の差でもないので私は溺愛している。そんな妹が学内でレイプ未遂にあったのは中学の頃だ。 何とか最後の一線を超えられる前に助けが入ったようだが、そんなことは関係ない。快活だった見る影はなくなり、家族以外の異性は見ることどころか声が聞こえることさえ怖がるようになってしまった。きっかけは、他の女子が片思いしていた子が妹に告白したとかそんな話だった。それで嫌がらせが始まり、次第にクラス全体が悪ノリし、下半身しかない糞が調子に乗って犯そうとした。そんな次第だ。 許せなかった。そんな人未満共もそうだが、離れて住んでいるとはいえ2ヶ月近く気づいてやれなかった自分や同居していたはずの両親がだ。 正直な話、私自身もいじめられたことがある。帰国子女として小学5年のとき日本の公立
これからも死刑廃止を唱えていきたいので、みなさんは犯罪なんてしないでください。 赤の他人を罰したくてウズウズしてる人はいっぱいいるし気持ちはわかるけど、無駄なのであなたの個人的な愉悦のために人の死を願わないでください。 悪人を苦しめても世の中はよくならないです。 追記 親しい人間がひどい目に合っても言えんのかって意見が常にあるけど、言うわけないし今回の遺族も言わなくて良い。 当事者の意見を過度に重視するのはバカだと思うが、当事者に冷静な判断を要求するのもどうかしてる。 どっかの弁護士をこえる手のひらクルックルを見せてやるよ。 でも遺族の報復の道具じゃない。 遺族のメンタルケアに犯人の命使ったらいかんよ。 追追記 個人的な愉悦じゃないと思う奴は前に出なさい。 正直ワイは「周りと違う俺カッケー」という理由もなくもない。もちろん全てじゃないけど。
ふと3億円事件があった日が知りたくなるときとかどうしてたの?
その状況に興奮することを初めて認識したのは、木嶋佳苗の事件をニュースで見たときだ。 死んだ何人もの男たち。彼らは騙されているとわかっていたのか、それとも何も知らずに死んだのか。 殺されるときどんな気持ちだったんだろう。自分が彼らの立場だったらーーと想像し、勃起していることに気づいた。 それで、当時つきあっていたセフレに冗談半分でお願いしてみた。僕に遺書を書くよう命じてくれないかと。 彼女は面白がって、僕のその無茶苦茶な提案につきあってくれた。 彼女の言うとおりに、僕は遺書を書く。 『人生が辛いです。生きていく希望もありません。死にます。口座にあるお金は全て○○さん(彼女の名前)に遺贈します』 書きながらギンギンに勃起していた。 自分の意思で書いているわけだが、文面は彼女の言うとおり書いているというその「書かされている」感が興奮を倍増させる。 最後に自分の名前を書いて拇印をおした。 その遺書
タイトルにもあるのだが満員電車にベビーカーを乗せるのは反対である、とだけ書くとなんとなくだが、とても炎上しそうである。 ここで、賛成の方々やお母さんたち(お父さんかもしれないが今まで目についた意見に女性が多かったため、お母さんとさせていただく)にお願いがある。 まず、反対というだけで目の敵にしないでほしいのだ。反対派の人間に理不尽な理由で反対する方々や実際に罵声を浴びせられればそんなことは難しいのかもしれない。 それはもう仕方がない。 他人にあたりたくなると思う。 今回批判等承知の上で書いてみた。 これを読んでも納得できなければ気が済むまでどんな言葉を投げていただいても結構である。 何があってもベビーカーには絶対に配慮すべきで私には人の心が足りないというのであればきっとそうなのだろうと自戒をしようと思う。 また、これも炎上しそうなことではあるが、お母さんたちは日々の子育てや家事に加えて仕事
あるきっかけで「あなたは私が女だから結婚したの?私がおっさんだったら私に興味ないわけ?」とかキレられたんだが それは当たり前ですやん…
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