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きはむさんに関するvertvertvertのブックマーク (5)

  • 数学を勉強することの意味――「1+1」の思想 - on the ground

    勉強することの意味を尋ねられたらどう答えようかな、などとはよく考えることがあるけれども、今日は特に数学に限定して考えてみようか。先日、数学を勉強するのは論理的思考を養うためだという旨の説明を横耳で聞く機会があって、それも一つの説明だろうなとは思いながら、ただそれだと国語との差別化が難しくなるだろうと感じていた(実際、その人は数学≒国語だと結論したのである)。 他の説明(説得?)の仕方としては、数学は現に「必要」になるし「役に立つ」んだということを示す方法や*1、数学は意味など無くても単純に楽しいものなんだよと見せつけるアプローチなどがあるのだろう*2。ただ、これらは誰にでも当てはまるわけではないという意味で、論理的思考の訓練であるという説明に比して汎用性は低いように思う。そこで、一種のトレーニングのためであるという説明の方向性を維持しつつ、国語とは区別された数学の独自性を損なわない形で論を

    vertvertvert
    vertvertvert 2009/11/13
    数学を学ぶ→モデル化
  • 一般想像力批判 - on the ground

    自分が小難しい類のを読むようになってからの短い年月の中でも、最近とみに「想像力」なる言葉を使いたがる論者が増えた気がする。その意味するところには差異があっても、誰もが想像力の「減退」や「枯渇」(あるいは「古さ」)を憂い、想像力の「回復」や「喚起」(あるいは「刷新」)を掲げる点では変わらない。 それぞれの議論の質はピンからキリまで様々なので、同じ言葉がやたら使われているからそれが問題だと言うつもりはないが、それにしても「想像力」などというフワッとした響きがマジックワードのように溢れ返っている状況には参る。 そもそも人間固有の想像力はそんなに変わらない。昔の人が滅法凄かったわけでも、今の私たちがとんでもなく進歩しているわけでもない。質量諸々、誰だってほぼ同じだろう。人間の想像力を大きなところで左右するのは、自然だったり技術だったり政治だったり経済だったり、要するに環境や状況だ。 現代人は「わ

    一般想像力批判 - on the ground
    vertvertvert
    vertvertvert 2009/09/14
    そうだよ、やっとポストモダンに到達したところ。
  • 消費者主権政治が政府に要請する二重の課題 - on the ground

    「小さな政府と社会保障の両立を求める変な国民」@すなふきんの雑感日記 「小さな政府と社会保障拡大を求める欺瞞」@Economics Lovers Live 「メモ:「小さな政府」、「大きな政府」、「社会保障負担/給付」に関する国民意識」@研究メモ 共通する疑問は、最初にすなふきんさんが述べている「「小さな政府」を求めつつ「社会保障充実」も訴える日型支離滅裂の背景にはいったい何があるのか」ということだと思うが、そういう問題についてなら多少考えたことがあるので、昨年書いた文章から少し引いておきたい。これは政治学と言うよりも社会学的な考察で、細かい数値を扱ったわけでもない大味な議論ではあるけれども、人によっては更に突っ込んで考えるヒントぐらいにはなるかもしれない。 最後の節では、脱イデオロギー的な現代の政治を決定的に特徴付けているイデオロギーについて、歴史を辿りながら論じてみたい。そのイデオロ

  • ステークホルダー民主主義の射程 - on the ground

    濱口桂一郎『新しい労働社会』の末尾近くでは、目指すべき方向性として「ステークホルダー民主主義」への言及が見られる。まだ全体をきちんと読めていないので、書評ということではないが、これは一応私の専門に属することなので、備忘がてら思うところを書き留めておきたい。 新しい労働社会―雇用システムの再構築へ (岩波新書) 作者: 濱口桂一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/07/22メディア: 新書購入: 18人 クリック: 401回この商品を含むブログ (84件) を見る 私の知る限り、日で「ステークホルダー民主主義」なる言葉を使っての議論の蓄積はほとんど無い。海外でも、“stakeholder democracy”や“stakeholder society”について語られている事例は若干存在するものの、いずれもあまり突っ込んだ議論とは言えない*1。これまで当ブログでは、「現代日

    ステークホルダー民主主義の射程 - on the ground
  • 社会の個人化と個人の断片化 - on the ground

    よく知らないのだが、最近twitterなるものの存在が目に入ることが多くなった。思い付いたことを思い付いた時に書き込んでいくものであり、ブログをより刹那的にしたものだと捉えてよいだろうか。 こういうツールは、素朴に見て、個人の通時的流動性(すなわち人格同一性の相対性)の意識化を促進させるように思える。ブログなら、ある程度考えをまとめてから書くだろうが、1行でいいから即座に書き付けていくなら、整合性とか気にせずに書けるわけだろう。すると、後から見ると自分の中の変化や矛盾や多様性を感じやすくなるのではないか。 使ったことがあるわけでも日常的に読んでいるわけでもないから、実際には分からない。でも自分のことを考えてみても、単にPCの前で長時間作業しているだけでも、当座には全然重要でないが気になったことを瞬時に検索して調べられるわけだし、パブリックなこともプライベートなことも仕事のことも趣味のことも

    社会の個人化と個人の断片化 - on the ground
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