タイトルについての説明からしておこう。「社会の二層性」ないしは「二重社会」という視点は、最近、湖中真哉さんが、『牧畜二重経済の研究』[湖中 2006]によって見事によみがえらせた、J・H・ブーケの「二重経済」論の前提となっている「二重社会(dual societies)」という用語を、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準(niveaux d'authenticite)」の議論の帰結を表すのに援用したものである。この講演では、この視点を、グローバル化に直面して絶望的な困難さを抱えながら生きている「小さなもの」たちが、その生をまっとうするための実践を理解するのに必要かつ重要となる視点として、提示したいと思う。そして、副題として付けている「小さなものの敗北の場所から」というのは、思想史家の市村弘正さんの「小さなものの諸形態」というエッセイから取ったものである。
この10年間ぐらい、人類学における「共同体」概念の脱構築/再構築を研究テーマのひとつにしていますが、今回の発表の目的は、共同体概念の脱構築/再構築を現代社会のイデオロギーとしてのネオリベラリズム文化批判と結びつけることにあります。それは、具体的には、バタイユの影響の下で展開されたジャン=リュック・ナンシーの「共同体」論以降の新しい「共同体」論の系譜を、ハイデガー以来の〈個〉の「代替不可能性」(交換不可能性・単独性)の議論と結びつけるという試みになります。そして、そのような共同体概念の脱構築/再構築のためには、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」という区別の導入が重要となることを示したいと思います。 まず確認しておきたいのは、「共同体」という概念が、近代のオリエンタリズムと同型の思考によって創られたものだということです。オリエンタリズムとは、近代の支配的な主体を自律的で能動的で合理的な
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