最近のエントリーでいえば、http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080210/1202620991に関わるのかも知れない。また、一部http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-571.htmlへのカウンターステイトメントを含む。 Arisan曰く、 いわゆる「ゆとり教育」とか「平等主義」に対する反動のようなものもあり、たとえ学力の格差のようなものが広がる結果になっても、とくに学力の高い子どもの能力をさらに生かしていくような教育システムに変えていくべきだ、という主張がされることが多い。 こうした主張のなかで、いつも聞かれるのは、「今の悪平等の教育システムでは、勉強のできる子、もっと学力を伸ばしたいと思ってる子たちが可哀相だ」といった言い分である。 しかし、これはまったくおかしな言い草だと思う。 自分の好きなことを学びたいという
【静かな有事】第1部少子化…崩れる社会(1)50年で3割減「存亡の危機」 (1/5ページ) 2009.6.30 22:40 日本は世界で最も少子高齢化の進んだ国だ。総人口は2005年以降、減少局面に突入した。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)が平成18(2006)年に公表した最も現実的な見通しでは、総人口は現在の約1億2770万人から、2055年には8993万人へと減る。50年もしないうちに3割もの日本人が日本列島から姿を消す。約100年後の2105年には4459万人にまで落ち込む。このままなら労働力不足で経済は縮小する。年金など社会システムへの影響も避けられない。われわれは「国家存亡の危機」に立たされている。 ◇ 長野県の最南端に位置する天龍村は、天竜川の渓谷に集落が点在する美しい村だ。平岡ダム工事のピーク時に8000人を超した人口は、現在約1800人。典型的な過疎の村だ。
打ち合わせで、サンフレッチェ広島側から助言を受ける広島経済大の世羅さん(中央)と河津さん(右)=7月10日、同大で 指示待ち人間にならないよう、学生の主体性を鍛える大学がある。 7月10日、広島経済大学(広島市)の会議室。2人の学生が1枚の企画書を見せると、社会人の男性が厳しい口調で次々と尋ねた。 「当日必要な備品は?」「誰が用意するの?」「お客さんはどうやって誘導する?」「誰をどこに配置するんだ?」 同大の学生プロジェクト「FLP」が企画したJリーグ・サンフレッチェ広島2選手のトークショー。10日後に市内の大型商業施設で開くため、サンフレッチェ企画部長代理の森脇豊一郎さん(36)が打ち合わせに訪れていた。 FLPのリーダー、3年生の世羅芳樹さん(21)と副リーダーの2年生河津宏祐さん(20)は、質問に即答できず、言葉に詰まった。 「何かあったら、お客さんに迷惑がかかるんだぞ。ちゃんとした
教育改革国民会議 教育改革国民会議報告 -教育を変える17の提案- 平成12年12月22日 教育改革国民会議 はじめに 教育改革国民会議は、内閣総理大臣のもと、平成12年3月に発足し、この度報告を取りまとめた。私たちは以下の17の提案について、速やかにその実施のための取組がなされることを強く希望する。 人間性豊かな日本人を育成する 教育の原点は家庭であることを自覚する 学校は道徳を教えることをためらわない 奉仕活動を全員が行うようにする 問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない 有害情報等から子どもを守る 一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する 一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する 記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する リーダー養成のため、大学・大学院の教育・研究機能を強化する 大学にふさわしい学習を促すシステムを導入する 職業観、勤労観を育む教育を推進す
政府の教育再生会議(座長・野依良治)は31日、総会で最終報告を決定し、福田康夫首相に提出した。 最終報告では「道徳」の教科化や学力向上に向けた対策など、提言の実効されていない課題を挙げ、実施状況を評価する新たな機関を政府に設けるよう要請した。 報告は「教育内容/教育現場/教育支援システム/大学・大学院改革/社会総がかり」をもとに第1~3次報告を総括し、「直ちに実施に取りかかるべき事項」として、「徳育の充実」「小学校への専科教員の配置」「大学の全授業の30%の英語による実施」など27項目を列挙した。「検討を開始すべき事項」として、「6・3・3・4制の弾力化」など9項目を明記した。 提言の求めに応じ、町村信孝官房長官は同日の記者会見で、教育改革を行う新組織を2月中にも設置する考えを示した。 報告書の全文は以下。 「社会総がかりで教育再生を―教育再生の実効性の担保のために―」 はじめに 教育再生
承前*1 教育社会学を学ぶ人のために 作者: 柴野昌山出版社/メーカー: 世界思想社発売日: 1985/06メディア: 単行本 クリック: 3回この商品を含むブログ (3件) を見る 手許に柴野昌山編『教育社会学を学ぶ人のために』(世界思想社、1985)がある。目次を書き出してみる; まえがき 序章 教育社会学の基本的性格(柴野昌山) 第1章 教育社会学の歴史的展開(田中一生) 第2章 教育社会学の研究方法――解釈的アプローチについての覚え書き――(山村賢明) 第3章 家族の体系と社会統制――家族における伝達の社会学――(萩原元昭) 第4章 社会変動と子供観の変遷――子供観の社会学――(徳岡秀雄) 第5章 子どもの社会化と準拠者――社会的オジの不在について〈子どもの社会学〉――(亀山佳明) 第6章 学校組織の社会的機能――学校の社会学――(石戸教嗣) 第7章 学校文化と生徒文化――生徒の社
無神論的言辞に注目して「西洋思想史」を見ていくと、結局すべてを見ることになる。 無神論のにおいのしない思想も哲学も宗教もないと言っていいくらいだ。 それは、無神論を考えることは神について考えることだからだ。 普通に、伝統や習慣通りに宗教っぽい儀礼をこなして、忙しくサヴァイヴァルしている人たちは神のことなんかあまり考えない。考えるとしたら、「神さま、どうぞ何々してください」という、取引の対象だか殿様としてくらいである。 神がいるかどうかなどと考え始める人たちは、不可知について考えているのである。 「死」について考えていると言ってもいい。 無神論のにおいというのは死のにおいなのである。 人間が多少なりとも実存的な問いを抱き始めたら、「死」が出てくる。 神を考えるのと死を考えるのは、同根なのだ。 死だけが、人間が想像できる「永遠」だからだ。他の人間の死を見て、少なくとも自分の生きているうちにはそ
←書評の物置へ ■『なぜ日本の教育は変わらないのですか?』 (グレゴリー・クラーク 東洋経済新報社 2003年9月発行 1700円) 総合評価:9 分析の説得力:9 具体的な提言:9 読みやすさ:7 既存の学校システムへの信頼度:D(大小の改革による全体的改善は可能と見る) 傾向:欧米の教育システムとの比較、大学教育の改革、語学教育の改革 文科省官僚への批判 キーワード:「日本の教育官僚は脳死しているのか」 「平等主義的アプローチの限界性」 著者グレゴリー・クラーク氏は、多摩大学学長になった英語圏の外国人の方。私は新聞で昔「外国人学長の多摩大学が入試で英語のテストを全廃」というニュースを読んで、「へぇ~、いいんじゃないか」と思ったりしたことがあったのですが、その時の学長さんでした。 なぜ英語入試を全廃したのかというと、簡単に言えば「入試英語は役に立たないどころか害悪。我が大学入学後に役に立
アメリカの私立の大学は4年間で、日本円にして多いところでは、約2000万円程度かかるといわれています。まぁ、これを 「はい、どうぞ。」 と払える親はあまりいないので、普通はスカラーシップに応募します。 スカラーシップで得たお金は、授業料や、本代、寮費など学校に関連するもの等々に使われ、返金しなくていいものです。 入学時に学校がスカラーシップをくれる場合もあります。我が家の香穂は、入学前に頂くことが決定しました。(じゃなきゃ、あの大学には入れないですぅ) 入ってからも、親切な私立大学になるとカウンセラーがぴったりとついてスカラーシップの応募の相談にのってくれて、1対1で応募方法を教えてくれるため、約80〜90%の生徒はスカラーシップもらって、大学を出るのが私立大学でみかけられる構図です。 我が家の香穂もスカラーシップはあるものの、もう少し必要かな?と言いだし、スカラシップの応募の本を見ており
タイトルについての説明からしておこう。「社会の二層性」ないしは「二重社会」という視点は、最近、湖中真哉さんが、『牧畜二重経済の研究』[湖中 2006]によって見事によみがえらせた、J・H・ブーケの「二重経済」論の前提となっている「二重社会(dual societies)」という用語を、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準(niveaux d'authenticite)」の議論の帰結を表すのに援用したものである。この講演では、この視点を、グローバル化に直面して絶望的な困難さを抱えながら生きている「小さなもの」たちが、その生をまっとうするための実践を理解するのに必要かつ重要となる視点として、提示したいと思う。そして、副題として付けている「小さなものの敗北の場所から」というのは、思想史家の市村弘正さんの「小さなものの諸形態」というエッセイから取ったものである。
この10年間ぐらい、人類学における「共同体」概念の脱構築/再構築を研究テーマのひとつにしていますが、今回の発表の目的は、共同体概念の脱構築/再構築を現代社会のイデオロギーとしてのネオリベラリズム文化批判と結びつけることにあります。それは、具体的には、バタイユの影響の下で展開されたジャン=リュック・ナンシーの「共同体」論以降の新しい「共同体」論の系譜を、ハイデガー以来の〈個〉の「代替不可能性」(交換不可能性・単独性)の議論と結びつけるという試みになります。そして、そのような共同体概念の脱構築/再構築のためには、レヴィ=ストロースのいう「真正性の水準」という区別の導入が重要となることを示したいと思います。 まず確認しておきたいのは、「共同体」という概念が、近代のオリエンタリズムと同型の思考によって創られたものだということです。オリエンタリズムとは、近代の支配的な主体を自律的で能動的で合理的な
先日ディスカッサントとして招かれた社会学史学会で、コミュニタリアニズムについて話をする機会があった。おさらいがてら読んでみたのが、菊池『日本を甦らせる政治思想:現代コミュニタリアニズム入門 』だったのだが...。私も、著者自身が「日本ではコミュニタリアニズムは誤解されている」と述べるとおりであると思うのだが、そうであればなお、批判者を説得できる書き方をした方がよかったのでは、と思う。私自身はどちらかといえばリベラリズムに共感しているが、残念なことにこの本によってはあまり説得されなかった。自分が主張したい議論について書くのなら、その議論に真っ向から反対する論者を説得するつもりで行うのが理想である。たとえば市場原理を批判したいのなら、相手はミクロ経済学者である。 日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書) 作者: 菊池理夫出版社/メーカー: 講談社発売日: 200
我が国における第三国定住による難民の受入れに関するパイロットケースの実施については、平成20年12月16日付け閣議了解により、政府としての対処方針が定められたところである。 これを受け、パイロットケースの具体的な実施方法及び第三国定住により我が国に受け入れる難民(以下「第三国定住難民」という。)に対する定住支援策の具体的措置について、次のとおり定めることとする。
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