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赤線に関するvftq029のブックマーク (3)

  • 愛媛県 松山市の町並み-1 - 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌

    遊里跡(遊廓・赤線・カフェー街)をブラブラあてどなく歩いた記録です。観光案内には全くなっておりませんのであしからず。 坂の上の遊廓・門前のカフエー建築と消えた妓楼・赤線の痕跡を探して 一遍上人生誕地の宝厳寺の門前に、この遊廓跡はひろがっています。なんともすごい光景です。 皆さんご存知の通り、松山は歴史上重要な多くの文化人を輩出、または滞在した地であり、立派なお城や温泉までもある見所満載の観光都市です。しかし残念なことに、ここも前述の今治と同じく戦災に遭い、私好みの城下町の面影はほとんどと言っていいほど残っていないのでした。 では、何故ここに来たのか・・・理由はただ一つ、私が遊廓や赤線といったことに興味をもつきっかけとなった場所があるからなのです。名前をネオン坂歓楽街というのですが、お馴染みの『消えた赤線跡放浪記』によりますと、『愛媛県下で遊廓が公許されていたのは、松山市内の「道後」と・・・

    愛媛県 松山市の町並み-1 - 『ぬけられます』 あちこち廓(くるわ)探索日誌
  • 吉行淳之介「原色の街」を歩く

    遊郭シリーズは第一弾が「須崎遊郭」、第二弾が先週取り上げた五木寛之の「千住遊郭」と順にきましたが、今週は第三弾として「吉行淳之介 」の「原色の街」から「鳩の街」を歩いてみたいと思います。遊郭シリーズは永井荷風の「墨東奇譚」の「玉の井」で最後にする予定です。「原色の街」は昭和26年、吉行淳之介が26歳の時に書かれ、第二十六回の芥川賞候補になっています。芥川賞を受賞したのは、同じく「鳩の街」を取り上げた昭和29年の「驟雨」でした。 <鳩の街> 鳩の街の遊郭(赤線)の誕生については、昭和20年3月の東京空襲で玉の井等の娼婦街が焼けてしまったため、その近くで焼け残っていた寺島一丁目(現東向島)に移転してきたのが始まりのようです。永井荷風の「断腸亭日乗」を読むと、その当時のことがよく分かります。「昭和二十三年一月十日。晴。暖。来訪者を避けむとて午下市川駅前より発する上野行のバスに乗り浅草雷門に至る。

  • 古今東西風俗散歩(移転しました)

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