2012年7月14日のブックマーク (3件)

  • いじめについて - 内田樹の研究室

    ある媒体から、大津市のいじめについてコメントを求められた。 書いたけれど長くなったので、たぶん半分くらいに切られてしまうだろう。 以下にオリジナルヴァージョンを録しておく。 今回の事件はさまざまな意味で学校教育の解体的危機の徴候だと思います。 それは学校と教育委員会が学校教育をコントロールできていないということではなく、「コントロールする」ということが自己目的化して、学校が「子供の市民的成熟を支援する」ための次世代育成のためのものだということをみんなが忘れているということです。 私の見るところ、「いじめ」というのは教育の失敗ではなく、むしろ教育の成果です。 子供たちがお互いの成長を相互に支援しあうというマインドをもつことを、学校教育はもう求めていません。むしろ、子供たちを競争させ、能力に応じて、格付けを行い、高い評点を得た子供には報償を与え、低い評点をつけられた子供には罰を与えるという「人

  • 学校があるかぎり、いじめはなくなりません - デマこい!

    重要なポイントは、大人も「いじめ」をするということ。 いじめは、あらゆる年齢層のあらゆる集団に存在している。にもかかわらず、いじめを学校の問題として語るのは、問題の矮小化にほかならない。いじめは子供だけの問題ではない。この社会に生きる私たち全員の病痾だ。 いまの学校は強制収容所だ。行きたくもないのに早起きをさせられて、会いたくもない連中と薄暗い部屋に閉じ込められる。学校に「通わせる」こと自体が、子供に対する人権侵害なのだ。学校に通わせることと、教育を受けさせることとは違う。現在はたまたま重なっているだけで、学校に通うことを強制する理由はない。 学校に行かないと社会性が身につかない――と、危惧する人もいるだろう。では、社会性(笑)を身につけた大人たちがどんな世の中を作っているのか。どんな生き方をしているのか。私たちが「社会性」だと思っている行動原理は、たぶん構造的にいじめを生む。 そんな社会

    学校があるかぎり、いじめはなくなりません - デマこい!
    vladimir3232
    vladimir3232 2012/07/14
    学校があるかぎり、いじめはなくなりません
  • インターネットの苦さに舌が慣れたのでおいしい - インターネットもぐもぐ

    インターネットにものを書いて流してどれくらいになるだろう。 書いては消し、サイトごと消し、名前すら消し、だから一貫してないんだけど。それでも行動としては10年くらいはしている気がする。 最近、漫画イラスト小説をお仕事で生産してる友達たちが、ネットの反応見ると心がざわつくから基あんまり見ないようにする!と言ってるのを聞いて、正直、まぁそれが普通の反応だよなあと思った。だって見た人は、好きに言うもの。もはやインターネットの画面なんてテレビと同じだもん。あの子最近かわいくなったね、男でもできたのかなー、あーそうかもねこないだ週刊誌に出てたよね、とか、あの人最近かっこよくなーい、わかるーなんか急に老けたよね、がっかり、なんて芸能人に向けるのとおんなじだ。向こうに届くなんて思っていない。ただこっちで話題にするだけの、コミュニケーションじゃない単純な感想。 ブログやらTwitterやらでいろいろ

    vladimir3232
    vladimir3232 2012/07/14
    インターネットの苦さに舌が慣れたのでおいしい