私は今だに有名人を見たことが無い。 鶴瓶の家族に乾杯の撮影が近所であったと聞いて急いで向かったのに間に合わなかったのが唯一のニアミス。 地方住みだから日常で芸能\人を見かけることはまず無い。撮影が近くであることなんてもう無い。 東京の人は有名人を毎日のように見ているから当たり前のことになっていても、地方では超貴重な経験なのわかってほしいです。
私は中古が大嫌いなのにリサイクルショップで働いてる。 でも最近は思うところがあって、長くて恥ずかしいからここに吐き出す。 誰かが使い古した物を、家にいれるなんて信じられない。 私は物には思い出や気持ちがつまるもんだと、本気で信じている気持ち悪い人間なので、誰かの思い出がつまった中古が気持ち悪い。 中古の品をみると、元の持ち主の顔を想像してしまう。どんな人生を送っていたのか考えてしまう。 そんな私がリサイクルショップで働いてしまった。家から近くて通うのが楽だから、とかいうダラけた理由で。 買うのも気持ち悪いが、売るのも気持ち悪いと思っていた。 自分の思い出や人生がつまったものを、いらないからと売りに来るのだ。そして誰かが私の過去がつまったものをまた使用する。それが私にはゾッとするのだった。 売りに来るもので一番理解できないのがぬいぐるみ。 ぬいぐるみなんて、一番思い出のつまるものだろう。 売
「キック!」と言いながらパンチするよりも「パンチ!」と言いながらキックする方が強そうだと思った。普通はキックの方が強いから。 ただ、問題はそんなに簡単ではないことにすぐ気づいた。 「パンチ!」と言いながらパンチする場合と「キック!」と言いながらパンチする場合ではどちらが強いのか、あるいは「キック!」と言いながらキックする場合と「パンチ!」と言いながらキックする場合ではどちらが強いのか、という問題も当然あるからだ。 「パンチ!」と言いながらパンチする(あるいは「キック!」と言いながらキックする)方が強い派も当然いると考えられる。 なぜこの主張がそれなりに説得力を持つかというと、自分の動作(パンチ)と掛け声(「パンチ!」)が完全に連動しているからだ。動作と言葉が合わさり、そこに迷いはない。迷いがないということは動きに無駄がないということだ。確信を持った強さだ。 一方、「キック!」と言いながらパ
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