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2007年3月30日のブックマーク (2件)

  • メディオロジー的転回の条件(NULPTYX:石田英敬研究室)

    メディオロジー的転回の条件 初出:『現代思想』vol.24-4、1996年4月号、pp.76-85 I. U. エーコの怪物退治:「中断されたコギト」 メディア理解に言語科学がどのように関わることができるのかという問いをめぐって、記号論からディスクール論へといたる1960年代以降の言語理論の推移と、最近フランスで言われ出した「メディオロジー」が提起していると思われる問題との接点を探ってみたいと思います。私の見方では、二十世紀の知の<言語論的転回>以降の社会理論がどのようにメディアの問題を理論化しうるのかということがここでは中心的な問題の縦糸を作っているのだと思いますが、<言語/記号>と<社会>と<技術>という三つの次元のうち第一項と第二項、第二項と第三項との間には理論分節が成り立ってきたのに第三項と第一項との間には十分な理論的な架橋がないではないかというのが「メディオロジー」の突きつ

  • flowerwild.net − 蓮實重彦インタビュー──リアルタイム批評のすすめvol.1

    デジタルメディアの台頭とともに「あらゆる映画が見られる」ようになったといわれる今日、映画批評はどう変わったのか。その道はどこに求められるべきか。蓮實重彦氏に聞く。 (インタビュー/構成:三浦哲哉) 目次 1.データベース化の幻想 2.反復する顔、しない顔 3.70年代の映画批評 4.リアルタイム批評のすすめ──マイケル・マンか、ガス・ヴァン・サントか 1.データベース化の幻想 ──1994年に『シネティック』の関口良一さんがなされたインタビューの中で、蓮實先生は、あらゆるものが見られる状況になったことで、映画を巡る言説は多様化するのではなく、かえって単調なものになっている、と述べておられます[1]。それから約10年が過ぎましたが、大状況としてはこの発言を追認せざるをえないかと思います。今回のインタビューでは、まず先生が述べられたこの見解を念頭に置きつつ、映画批評における歴史性について、メ