<kin-gon> ソ連が1991年に崩壊すると、ウクライナは期せずして米露に次ぐ核大国になった。ソ連がウクライナ国内に大量の核兵器を置いていたためだ。ウクライナにあった核弾頭は当時1240発。英国が冷戦期に保有していた「核」の2倍以上だ。 それでもウクライナは核保有の道を選ばなかった。チェルノブイリ原発事故の影響から、国民に核アレルギーがあった。ウクライナ議会はソ連崩壊の前年、「受け入れない、作らない、手に入れない」の非核三原則を宣言している。ただ、政府や軍には「核を手放して、自国の安全を守れるか」との懸念もあった。 ソ連崩壊で、核の拡散を懸念する米英露はウクライナに放棄を求めた。ブダペストで94年、全欧安保協力会議の首脳会議が開かれる。ここで米英露は「ウクライナの領土的統一と国境の不可侵を保証する」という覚書を交わす。ウクライナが全ての核をロシアに移送したのは96年である。 冷戦終結(