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ブックマーク / dobonkai.hatenablog.com (7)

  • 無意識に使っている差別語をやめさせるのはとても大変ということ - ネットの海の渚にて

    このブログの読者さんであれば今まで何度も書いてきたので御存知だと思うが、私は以前電気関係の仕事をしていた。 エアコンの取り付けや修理、電気工事やアンテナ工事。 そういった現場で10年ほど働いていたことがある。 どの業界でもそうだと思うが、その中でだけ通用する言葉というものがある。 いわゆる「業界用語」と呼ばれるものだ。 それは仕事における意思疎通の中で誤読や聞き間違えなどが発生しないように、過去の失敗事例などが元になって現在使われているような言葉に進化しているケースが多い。 例えば私がいた電気業界だと当たり前のように使われている「オス、メス」という語。 2つの部品が組み合わさるような場合でよく使われる言葉だ。 凸状の部品をオス、凹状部品をメスと言ったり、何かを差し込む場合に挿す側をオスと呼び、受け側をメスと呼ぶ。 これらは単純にイメージしやすいという理由から多くの場面で使われているのだと思

    無意識に使っている差別語をやめさせるのはとても大変ということ - ネットの海の渚にて
  • 部下に「できるかできないか」を断言させるのは管理職の怠慢だと思う - ネットの海の渚にて

    こちら読ませてもらった。 blog.asimino.com おそらくこれを書いたあしみのさんは「失敗を恐れずに己の責任感を育てるためにもあえて『できます』と断言して自分を追い込め」みたいな意味で言っているのだろうと理解した。 予断を持つようなことばかりしているとやがて自分に甘い人間になってしまう。だからできるかできないかに関わらず「できる」と断言できるような社員に育って欲しいというイメージなんだろうと思う。 私も十数年前の若い頃に、あしみのさんのような上司のもとで働いていたことがある。 「これとこれ。○○日までにできるか?」 だいたいこうやって聞かれる。 この時の職場はとにかく不確定要素が多くて、とてもじゃないが数日単位にまたがるような業務だと仕上がり日の約束なんてできなかった。なので「全力でがんばります!」といつも答えていた。 それは冒頭の記事の上司のように「できると思います」と答えたら

    部下に「できるかできないか」を断言させるのは管理職の怠慢だと思う - ネットの海の渚にて
  • 私が最近テレビをめっきり見なくなった理由 - ネットの海の渚にて

    photo by Lubs Mary. 最近テレビをめっきり見なくなった。 これは決して「テレビなんて低俗なモノを見て無駄な時間を過ごすなら、自分磨きのために自分に投資しよう」みたいな意識高い系にありがちな話ではない。 元々テレビっ子だし来はテレビが大好きだ。 けれど見ないのは単純に見たい番組が無いからだ。 現状、欠かさず見ているのは「鉄腕ダッシュ」と「タモリ倶楽部」だけだと思う。 後はスポーツ中継くらいか。 ターゲットのミスマッチ ドラマを見ても制作側が想定している対象に自分が入っていないらしく、見ていてもしっくりこない。 だからドラマを見なくなって久しい。 ドキュメント番組は興味のある内容だったら録画する。 バラエティも、ほとんど見なくなった。 それは自分の年齢が上がることで、バラエティ番組の狙っている視聴者層から外れてしまうのはドラマと同じ理屈だ。 自分を含めた層が対象にされていな

    私が最近テレビをめっきり見なくなった理由 - ネットの海の渚にて
  • ミニマリストっていうのは簡素清貧ってことでいいかな? - ネットの海の渚にて

    最近、なぜだが自分の観測範囲の中にミニマリストという単語を頻繁に見かけるようになった。 リアルの生活だと誰かの口からミニマリストなんて言葉を一度たりとも聞いたことは無いのだけれどネットの中ではよく見かける。 気になったから「ミニマリスト」を検索してみたんだけど、どうもしっくりくる答えが見つからなかった。 だから個人的偏見に満ち満ちた視点からミニマリストとはなんぞやを語ってみたいと思う。 この記事を読んだ。 イグアナさんにほぼ同意と言ったところだ。 だけど俺はイグアナさんとは違いミニマリストという言葉にあまりいいイメージを持っていない。というかこの手の自己啓発っぽいものが心底苦手だ。 その辺りのことを書きたいと思う。 もともとこの国にはモノを持たずに身軽に生きるという思想があった。 質素に生きることや慎ましやかに生きることを美徳とする文化的ベースがある。 金持ちが欲にまみれた生活をしていると

    ミニマリストっていうのは簡素清貧ってことでいいかな? - ネットの海の渚にて
  • テレビの衰退で共通の思い出は無くなっちゃうのかなって話 - ネットの海の渚にて

    photo by brizzle born and bred インターネット全盛時代になると情報は自分が選択して摂取するようになる。 目の前のスマホを眺めたって何も起こらない。自分から「何か」を入力しなければ情報は降りてこない。こちらから情報を取りに行く。 当たり前の話なのだがこれが一昔前は違った。 俺が子供の頃の情報源と言ったらテレビがほぼ全てであって、残りは図書館で眺める様々な図鑑だったり「ひみつ」「ふしぎ」シリーズだったりした。 漫画で学ぶ~~シリーズもよく読んだ。 テレビは自分から何かを入力する必要は無い。 せいぜいチャンネルを変えるか電源を切る位の選択しか無い。 出来合いの情報が一方的に流れてくる。それを受け止めるのが普通だった。 流行り廃りというのはテレビが作っていたと言ってもいい。 小学3年生の頃にガンダムのプラモデルが大流行した。 それこそ主役の「ガンダム」が欲しいのだがお

    テレビの衰退で共通の思い出は無くなっちゃうのかなって話 - ネットの海の渚にて
  • 騙し騙されのインターネット時代を懐かしむおっさんの話 - ネットの海の渚にて

    私はネット歴がそこそこ長い。 おそらく20年以上になると思う。 テレホーダイには当然加入していた世代だしテキストサイトも色々と入り浸っていた。 2ちゃんねるもROM専ではあったもののネオ麦茶で有名になる前からちょくちょく覗いていた。 あめぞう時代は知らない。 一昔前までネットは嘘だらけで「罠」みたいなものはそこら中にあった。 それこそダイアルアップ時代はちょっとでも油断するとダイヤルQ2回線や国際電話回線に繋がれてしまって高額請求が来ることもよくあった。 ADSL等の常時接続が当たり前の時代に移ると、なにかをクリックするとあたかも勝手に契約してしまったような画面を表示して高額請求する詐欺なんかが流行った。 それ以外にも「ブラクラ」や「グロ画像」なんかは腐るほど設置されていた。 まあ、私がアングラなサイトに潜っていたからそういったものを頻繁に目にしていた可能性は高い。とはいえ当時はまだインタ

    騙し騙されのインターネット時代を懐かしむおっさんの話 - ネットの海の渚にて
  • キレる老人について考えてみた話 - ネットの海の渚にて

    「キレる老人」問題と、現代居住空間の世代間断絶 これを読んだ。 俺は以前家電販売店で10年ほど勤務経験がある。 その時でも所謂モンスタークレーマーは60才以上の高齢男性が多かった印象がある。 理不尽な要求や常軌を逸した言動など、場合によっては暴力を伴いかねない極端なクレームを持ち込むのは決まって高齢男性だった。 朝一で売り切れた数量限定の特売品を昼過ぎに来て「売れ」と要求したり、10年前に購入した冷蔵庫が壊れたから中身を弁償しろなどという無謀なクレームをよく受けた。 彼らには彼らなりのルールがあってそれを店側に押し付けようとしてくるのだが、当然ながら理不尽な要求には答えられない旨をお伝えすると、大抵大声を出して威圧してくる。 胸ぐらを掴まれたことも一度や二度ではない。 どうも彼らは自分の要求が通らないことは自分自身を否定されたと捉えてしまうらしい。 それがどんなに常識を逸脱した要求だったと

    キレる老人について考えてみた話 - ネットの海の渚にて
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