『モテたい理由』(赤坂真理著・講談社現代新書)より。 (「第6章・男たちの受難」から) 【武術家の甲野善紀が古武術をはじめたのは「人の運命は決まっているのかいないのか?」という問題を追究するためだったという。 青年期にこの問題に悩んだ甲野は、いろいろな人に答えを求めに行くが「決まっているが、努力で変えられる」という答えばかりが返ってきておかしいと感じた。「努力できるのも運命のうちであり、だったら運命はやはり決まっていることになる」からだ。たしかに、そうでなければ占いや心理検査の基本性格欄に「努力家」「意志が強い」とか「怠け者の傾向がある」などという記述もあろうはずがない。 努力できる人は、持ち前の努力家気質が発揮できるのであり、それと同様に、持ち前の気の弱さも、持ち前の優柔不断も、もちろんあるのだ。生まれる前に決まっているとしか思えないことが多すぎる。しかし近現代人のあまりに多くのことは、
なんか盛り上がってる“マッチョ”論争。まぁ、リベラルを標榜する自分としては、まったく同意出来ないけれど、ちょっと面白かった部分を取り上げる。 ・2010年、マッチョ主義によって日本社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438491 当人もネタとして扱ってるっぽいのだけれど、前半の教育の部分が面白い。 また、マッチョの基本は、自分で決断し、自分で実行し、自分で責任をとることである。このため、必然的に、教育の裁量権の徹底的な現場委譲が進んだ。 (略) たとえば、公園にあるコンクリートと玉石の岩山に幼児がよじ登って降りられなくなり、泣き叫んでいたとしよう。 この場合、親は、単にその幼児を抱きかかえて降ろしてはいけない。 幼児の手や足を玉石に一つ一つ導きながら、自分
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