前回まで、リードによるギブソン理論の解説を参照しながら、画像知覚の問題を検討してきた。今回は締めくくりとして同じ資料の第16章に着目しよう。その検討を通じてかなり決定的な知見を導くことができるように思える。 ギブソン-リードの見地からみると、環境要素の知覚(ふつうの意味での知覚)と記号系の知覚(例えば、画像知覚や言語知覚など)との相違は、これを知覚の構造とその機制とかかわせて捉え返すとき、「直接知覚」と「間接知覚」の相違にそのまま重なり合う。(リード『伝記ジェームズ・ギブソン』(佐々木正人監訳)、勁草書房、2006、p.411.) ギブソンは、環境についての意識が、表象や感覚作用から外的対象を推論する過程に基づく必要はないことを主張した。環境を特定する情報がリアルなものとして存在し、この情報を検知することが、すなわち〈知覚〉の働きであるのなら、検知のための行為=知覚はそれ自体が特定されるも
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