2012年8月15日のブックマーク (4件)

  • 恐山あれこれ日記: あの時の話

    あの時の話 「あなたは、こんな文章も書いていたんですねえ」 最近、私のの読者だという人が、私が永平寺で修行生活をしていたころに書いた文章のコピーを送ってくれました。 それは、当時連載を持っていた『RONZA』(朝日新聞社)の原発特集(1997年2月号)に求められた記事で、私に書いた記憶はあったものの、中身はほとんど忘れていました。 いま読んでみると、いかにも素人臭い、詰めの甘い代物ですが、それでも、この問題に関して今の私が考えていることの趣旨は、すでに出ています。しかも、ちょっと面白い書き方なので、恐れ入りますが、以下に転載させていただきます。 なお、これにて当ブログにおける大震災に関する言及は、ひとまず終ります。ただ、今後、二、三の雑誌や書籍には、震災関連の発言が掲載される予定です。 文殊菩薩が泣いている 「もんじゅ」暴走 「もんじゅ」挫折 「もんじゅ」全面見直しへ 敦賀半島にある高速

    wakabaroom
    wakabaroom 2012/08/15
    “「それにしてもね、どうして原発にボディーサットバ(菩薩)の名前がついているの?」”
  • 恐山あれこれ日記: 弔うということ

    弔うということ 人が死んで物理的に消滅したとしても、その人をめぐる人間関係とその枠組みが一挙に消滅するわけではありません。関係と枠組みは、記憶とともに残存し、生きている者に具体的な影響を与え続けます。 ということはつまり、遺された者は、物理的に消滅した存在を、残っている関係の中に、一定期間(関係の残存期間)、位置付け直さなければばりません。つまり、「死者」という存在として、再構成しなければならないのです。それによって、関係性をもう一度安定させる必要があるわけです。 私は、このことが弔いという行為のもっとも重要な意味だと思います。 単なる「死体」と「遺体」の違いは、まさにここです。死によって、すべての社会的な関係性を喪失して、一度ただの「物体」になった存在を、「誰かの遺した」体として人格を呼び戻し、社会的に位置づけ直したものが「遺体」なのです。弔いの最初の仕事は、まさに「死体」を「遺体」にす

    wakabaroom
    wakabaroom 2012/08/15
    “遺された者は、物理的に消滅した存在を、残っている関係の中に、一定期間(関係の残存期間)、位置付け直さなければばりません。”
  • 9月雅楽公演「四天王寺の聖霊会」

    wakabaroom
    wakabaroom 2012/08/15
    これ、すごくない?・・・でも、他の用があって行けない、とてもくやしい。
  • 「雅楽」世界最大級の芸術祭へ 22日に英で宮内庁楽部出演+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

    最古の伝統音楽「雅楽」を継承してきた宮廷楽団・宮内庁楽部が22日、世界最大級の芸術祭として知られる英国の「エディンバラ国際フェスティバル」に出演する。経済的な事情から海外公演は貴重な機会となっており、今回は平成14年の韓国公演以来10年ぶり。21年にユネスコから無形文化遺産の登録を受けてからは初めてとなる。 フェスティバルはスコットランドの夏の風物詩として毎年開かれており、今年は世界47カ国約3千人のアーティストによる演劇や音楽などが上演される。ディレクターの音楽家、ジョナサン・ミルズ氏が約2年前から出演を熱烈に依頼しており、雅楽の約1900席分のチケットはすでに完売しているという。 宮内庁によると、楽部は昭和34年の米ニューヨークでの公演を皮切りに、ドイツやエジプトなど計24カ国で、海外公演を行ってきている。 宮内庁の一組織である楽部は企業からの支援が受けられないため、国際交流基金の

    wakabaroom
    wakabaroom 2012/08/15
    かっちょいい