自由のための不自由 最近、写経がちょっとしたブームになっています。もともと、紙や筆記道具がまともになかった時代、釈尊の言葉とされた経典は、丸暗記によって伝承され、広まりました。その後、活字印刷の発明までは、経典の書写こそ、伝承と布教に決定的な意味を持っていたのです。ですから、諸経典の中で写経の功徳が大いに讃えられているわけです。 これまた最近流行している寺社仏閣の朱印集めですが、ご存じのとおり、元はと言えば、写経を奉納したことの証明書であり、ただのスタンプラリーではありません。 昨今の写経は、一種の「癒し」系行事になっています。実際、やった人の多くが、「疲れたけどスッキリした」というような感想を述べます。 上述のように、写経は本来「スッキリ」するための行為ではありませんが、そういう効用が副産物としてあることは事実です。 たとえば、恐山では、お経を印刷した台紙の上に和紙を置き、これを筆ペンで
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く