ニルヴァーナは安楽ではない。ニルヴァーナは消滅ではない。ニルヴァーナは拒絶である。 ニルヴァーナは意味を、自己を拒絶する。つまり、「私の」ニルヴァーナは、「私への」拒絶の甘受である。 ニルヴァーナは、修行の必然の結果ではない。修行の途上の偶然である。 ニルヴァーナのための「正しい」方法などない。偶然は偶然であり、必然にならない。 誰もが誰をも理解せず、すべてがすべてと一致せず、何もかもが一時に破断する。救済なき終極としてのニルヴァーナ。 ならば、「私」とは、ニルヴァーナへの異議である。まったく無意味な、しかし、ニルヴァーナがニルヴァーナであるための異議である。