空海が理論化した「即身成仏」のアイデアは、『古事記』に内在するアニミズム的な「ありのまま」肯定の思想的傾向と親和的である。 つまり、現にいま生きている人間が「そのまま」成仏できるのだという主張は、成仏する方法の工夫によっては、「ありのまま」で仏である、という思想にまで発展する余地がある。 それはいわば、密教の持つ超越的な形而上学理論が、地縁血縁共同体における現状肯定を墨守する思想・心情的基盤に溶解して、「ありのまま」が「真理」として、超越的理念に変貌して立ち上がるということであり、このいわば「ありのまま」主義の形而上学こそ、「天台本覚思想」である。 「本覚」と空海 「本覚」とは、本来の悟りという意味であり、我々衆生は、本来すでに悟っているのだと考えるのだ。 最初にこの概念を論じたのは『大乗起信論』という論書で、著者はインド僧ということになっているが、古くから中国での撰述が疑われている