2020年2月27日のブックマーク (4件)

  • 全国の小中高 臨時休校要請へ 来月2日~春休みまで 首相 | NHKニュース

    新型コロナウイルスの感染拡大を受け、安倍総理大臣は来月2日から全国すべての小学校・中学校、それに高校などについて、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考えを示し、文部科学省は、今後、全国の関係機関に要請を行う事にしています。今回の要請に幼稚園や保育所、学童保育は含まれていないということです。 この中で安倍総理大臣は、北海道や千葉県市川市で小中学校などの臨時休校の措置が取られていることに触れたうえで「各地域で子どもたちへの感染拡大を防止する努力がなされているが、ここ1、2週間が極めて重要な時期だ」と述べました。 そのうえで「何よりも、子どもたちの健康・安全を第一に考え、多くの子どもたちや教員が日常的に長時間集まることによる大規模な感染リスクにあらかじめ備える」と述べ、来月2日から全国すべての小学校・中学校、それに高校と特別支援学校について、春休みに入るまで臨時休校とするよう要請する考え

    全国の小中高 臨時休校要請へ 来月2日~春休みまで 首相 | NHKニュース
  • 【識者の眼】「新型コロナウイルス感染症はSARSに類似(2)─インフルエンザに比べはるかに重い疾患」菅谷憲夫|Web医事新報|日本医事新報社

    【識者の眼】「新型コロナウイルス感染症はSARSに類似(2)─インフルエンザに比べはるかに重い疾患」菅谷憲夫 No.5001 (2020年02月29日発行) P.56 菅谷憲夫 (神奈川県警友会けいゆう病院感染制御センターセンター長・小児科、慶應義塾大学医学部客員教授、WHO重症インフルエンザガイドライン委員) 登録日: 2020-02-18 最終更新日: 2020-02-18 新型コロナウイルス感染症(以下、COVID-19)は国内での流行も危惧される状況になった。国内での人から人への感染が進行しているにもかかわらず、日政府が中国からの入国を禁止しなかったことは、COVID-19の感染性、重症度を過小評価した重大な失策と考えられる。すでに水際対策の段階は越えて、日各地にウイルスが蔓延している可能性がある。 常識に反した報道 日のマスコミが一貫して、重症度は低いと報道してきたことも、

    wakabaroom
    wakabaroom 2020/02/27
    “WHOの推測ではCOVID-19感染者のうち、①82%が軽症、②15%が重症、③3%が重篤と報道されている(https://www.bbc.com/news/health-51048366)。3%の患者が重篤になる感染症を、季節性インフルエンザと同等とすることはできない。”
  • 『信じられないかもしれないけど、時差通勤になって起きた事を話すね!』→首都圏の満員電車の混雑度に変化が現れた模様「時差出勤とは」

    コロナウィルスの蔓延を避けようと各社が時差出勤で対策をとったところ、通勤電車の混雑度にこんな変化が…! uzupann @uzumaki_pann 信じられないかもしれないけど、時差通勤(笑)になって起きたことを話すね! 6時■■ →■■■ 7時■■■■ →■■■ 8時■■■■ →■■■■ 9時■■■■ →■■■ 10時■■ →■■■ ありがとう、全部超満員になったよ★ 2020-02-26 07:55:20

    『信じられないかもしれないけど、時差通勤になって起きた事を話すね!』→首都圏の満員電車の混雑度に変化が現れた模様「時差出勤とは」
  • 他者とペット - 恐山あれこれ日記

    最近よく世間で聞く言葉に「共生」と「多様性」があります。この言葉にどのような意味を読み取るかは、人それぞれかもしれせんが、私はこれはそう簡単に扱える文句ではないと思います。 我々の社会の問題として「共生」と言うなら、その最も直接的な意味は、自己と自己ではない誰か、つまり他者との「共生」でしょう。だとすると、「多様性」とは、その他者が人種、民族、言語、文化的・宗教的背景などで様々に異なることを言うのだと思います。だとすれば、話の要点は、「多様な他者との共生」ということになり、これは簡単なことではなく、その実現には、すでに言われているように「寛容さ」、もっとはっきり言えば忍耐が必要だと思います。 なぜなら、そもそも、「他者」とは根源的に「わからない」存在だからです。このわからなさは、死のごとき「絶対的わからなさ」とは、すこし性格が違います。他者のわからなさは、原理的な理解不可能性ではなく、わか

    他者とペット - 恐山あれこれ日記
    wakabaroom
    wakabaroom 2020/02/27
    “もし「他者」の他者性の肯定、すなわち「裏切る(かもしれない)他者を自己の根拠として認める」態度があるとすれば、それは「愛」ではなく「敬意」です。”