経典を読んでいると、こんな話もあるのかと、びっくりすることがあります。以下は、初期経典にあるエピソードです。 ゴータマ・ブッダの弟子グループが、別の修行者グループを訪問します。すると、この別グループの修行者が、悟りの至るための七つの修行(七覚支)を取り上げて、これらはブッダも説いているが、自分達も説く。ブッダが説くことと自分たちが説くことに何の違いがあるのかと、質問しました。 七つの修行とは以下のようなものです。 一、おもいを平らかにする。(念覚支) 二、教えの中から真実のものを選択し、偽のものを捨てる。(択法覚支) 三、一心に努力する。(精進覚支) 四、真実の教えを実行することの喜びに住する。(喜覚支) 五、心身を軽やかに快適にする。(軽安覚支) 六、心を集中して乱さない。(定覚支) 七、対象へのとらわれを捨てる。(捨覚支) 日本語訳が適切だとすると、一、四、五などは、具体的に何をするの
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