2023年6月7日のブックマーク (2件)

  • 上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧 - Wikipedia

    上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧(じょうこてんのうのざいいねんとせいれきたいしょうひょうのいちらん)は、初代神武天皇から第25代武烈天皇までの天皇(摂政の神功皇后を含む)の在位年および空位年と西暦ならびに皇紀、干支との対照表を列挙したものである。神武天皇については誕生からの各年のほか、祖先の神々の一覧を付した。この時代には元号は使用されていない。 いずれの年代も『日書紀』の記述を基に編纂された長暦である『日長暦』に基づくものであり、考古学的知見に基づくものではないが、神武天皇の后の父は纒向遺跡付近の大神神社の祭神とも伝わる。第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までは欠史八代と呼ばれ、神武天皇と共に実在性が低いとされるが、纒向遺跡付近の志貴御縣坐神社を拠とした磯城県主と、これを女系で継承した穂積氏・物部氏の遠祖が8代の皇后を出したとも伝わるが、異伝もある。第10代崇神天皇、第11代垂仁天

  • 吉備津彦命 - Wikipedia

    第7代孝霊天皇と、妃の倭国香媛(やまとのくにかひめ、絙某姉(はえいろね)、意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと))との間に生まれた皇子である。 同母兄弟姉妹として、『日書紀』によると倭迹迹日百襲媛命(夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ))、倭迹迹稚屋姫命(倭飛羽矢若屋比売(やまととびはやわかやひめ))があり、『古事記』では2人に加えて日子刺肩別命の名を記載する。異母兄弟のうちでは、同じく吉備氏関係の稚武彦命(若日子建吉備津日子命)が知られる。 子に関して、『日書紀』『古事記』には記載はない。 『日書紀』崇神天皇10年9月9日条では、吉備津彦を西道に派遣するとあり、同書では北陸に派遣される大彦命、東海に派遣される武渟川別、丹波に派遣される丹波道主命とともに「四道将軍」と総称されている[1]。 同書崇神天皇9月27日条によると、派遣に際して武埴安彦命とそのの吾田

    吉備津彦命 - Wikipedia
    wakabaroom
    wakabaroom 2023/06/07
    “吉備津神社の本来の祭神を温羅と見る説もあり、その中でヤマト王権に吉備が服属する以前の同社には吉備の祖神、すなわち温羅が祀られていたとし、服属により祭神がヤマト王権系の吉備津彦命に入れ替わったという”