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  • 竹生島・宝厳寺 ~西国第三十番札所~ │ 宝厳寺のいわれ

    竹生島宝厳寺は、神亀元年(724年)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民豊楽となるであろう」というお告げを受け、僧行基を勅使としてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。 行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)をご尊として堂に安置。翌年には観音堂建立を発案しました。後年、その遺志を継いだ浅井の大領が千手千眼観世音菩薩像を安置しました。 それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師なども来島、修業されたと伝えられています。 当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長七年(1602年)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。 全国数多くのご信者様の強い要望により廃寺は免れ

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