こんにちは。本宮 貴大です。 今回は「【室町時代】なぜ各地に小京都が誕生したのか【宗祇】」というテーマでお伝えしたいと思います。 室町時代には、中央で開花した文化が地方へも波及していった時代でした。 今回は、室町時代の地方文化についてみていきながら、なぜ各地に小京都が誕生したのかについても触れてみたいと思います。 1567年、応仁の乱が勃発すると、その戦火を逃れるために京都に住んでいた公家や僧は次々と地方都市へと亡命していきました。 そんな亡命者たちを地方の武士たちは、温かく迎え入れたため、彼らとの交流が進むうちに、京都の文化は地方へも広がっていきました。 たとえば、大内氏の領国である周防国の山口(山口市)には、多くの僧や学者・公家が集まり、儒学(儒教を研究する学問)や古典の研究、出版などが行われました。また、雪舟の水墨画は、大内氏の保護のもと、大成されたといっても過言ではありません。 大