今年の大学入試センター試験の「倫理」で「フッサールの思想の記述として最も適当なものを、次の1から4のうちから選べ」という問題が出た(こちらで見ることができる)。選択肢は以下の通り。 人間は自己の在り方を自由に選択するため、実存が本質に先立つ。 事物は知覚とは独立に存在せず、存在するとは知覚されることである。 言語の限界を超える語り得ぬものについては、沈黙せねばならない。 自然的態度を変更し、判断中止を行うことが必要である。 正解とされているのは4なのだけど、そこに書かれていることはフッサールの思想の記述としてはちょっと(あるいは、場合によってはかなり)まずいように思われる。というわけで、フッサール研究者の端くれとして、私がなぜこの問題に難があると思ったのかについて簡単に書いておく。 I. 「判断中止」という言葉について まず指摘しなければいけないのは、「判断中止」という言葉はフッサールの著