昭和16年12月8日、日本は米国との開戦に至った。 太平洋から東南アジア、インド洋にいたる広大な海洋を舞台とし日本は史上例を見ない大戦争を戦った。 そして4年にも及ぶ「大戦争」は最終的に昭和20年8月15日、日本の敗戦によってその幕を下ろした。 しかし何故日本は国土の広狭・資源の有無・を無視してまで「日米開戦」に踏み切ったのか、常識では考え難いがそれらに関係無く日本に開戦を選択させるべく仕向けたアメリカの『責任』がある。 「アメリカが日本に送ったのと同一の文書を他国に送れば非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」これは東京裁判でのパール判事の言葉である。 勝ち負けを度外視しても開戦を選択せざるを得ない理由こそがまさに『ハルノート』である。(正式名称、合衆国及び日本国間の基礎概略)開戦前夜の昭和16年11月26日アメリカ国務長官 コーデル