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哲学に関するwand125のブックマーク (8)

  • 「日本時間学会」設立 時間学という新たな学問の確立を目指す 文系・理系の枠超え研究:アルファルファモザイク

    ■編集元:科学ニュース+板より「【学問】「日時間学会」設立 時間学という新たな学問の確立を目指す 文系・理系の枠超え研究」 1 白夜φ ★ :2009/06/16(火) 21:07:35 ID:??? <日時間学会:設立、山口大で記念講演 文系・理系の枠超え研究 /山口> 時間学という新たな学問の確立を目指す「日時間学会」の設立総会が13日、山口市の山口大学で開かれ、記念講演やシンポジウムがあった。記念講演した千葉喜彦・同大名誉教授(時間生物学)は、山口は16世紀に宣教師のザビエルが大内義隆に西洋式時計を献上した地であることを紹介し「時間学の端緒をつくったのはザビエルではないだろうか」と意義を強調した。 同学会は「時間」を共通の視点として文系や理系の枠を超えた研究・交流が目標。山口大時間学研究所が設立準備を進めてきた。 講演で千葉名誉教授は、環境が一定の実験室内でも動物が毎

    wand125
    wand125 2009/07/30
    数学の出る幕はあるんかな。
  • メモ

  • リゾーム - Wikipedia

    リゾームとは、rhizome (希: ρίζωμα 、ラテン文字転写:rhízōma)の音写語であり、「地下茎」の一種。「根茎(こんけい)」と訳す人もいる。 概要[編集] 日では主として、ドゥルーズおよびガタリの共著『千のプラトー』の中の登場する比喩的用語あるいは哲学用語として知られている。両者は、伝統的に西洋の形而上学はある絶対的な一つのものから展開していくツリーのモデルをとってきたと解釈し、それに対抗して、中心も始まりも終わりもなく、多方に錯綜するノマド的なリゾームのモデルを提唱。狙いは、体系を作り上げそれに組みこまれないものを排除してきた西洋哲学に反抗し、リゾーム(地下茎、根茎)をモデルに発想の転換をさせるところにある。 西洋近代の哲学者デカルトは、その著書である『哲学原理』の序文において、彼の時代の学校教育においても支配的であったアリストテレス的な学問論、すなわち類を異にする諸学

  • 哲学で博士号取る予定の俺が、どんな質問にも哲学的に答える:ハムスター速報 2ろぐ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:09:20.28 ID:Ecteuiyz0 アカポスとか就職とか、俺がになる質問以外。 2 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:09:49.38 ID:sR2Rucw20 世界中の童貞はどうしたら救われるのか・・・? >>2 セクロスしても救われるとは限らない、ってのが問題だよな。 信仰からの回答が一番手っ取り早い。信仰を持て、正当化しろ、価値観をひっくり返せ ニーチェは読むな、これに尽きる。 4 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/07/25(水) 17:10:02.67 ID:W7cwMSVl0 悪の起源 >>4 悪ってのは、関係性の中に成立する。 つまり、善が存在するためには悪がなければならない。 フーコーが権力装置概

  • http://anond.hatelabo.jp/20090430150642

    こっちなら当に勝ち組になれると思うけどね プラトン『国家』 アリストテレス『形而上学』 ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 ヘーゲル『精神現象学』 デカルト『省察』 パスカル『パンセ』 ライプニッツ『単子論』 カント『純粋理性批判』 キェルケゴール『死に至る病』 バーク『フランス革命の省察』  ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 ニーチェ『道徳の系譜』 ベーコン『ノヴム・オルガヌム』 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 ハイデッガー『存在と時間』 アーレント『精神の生活』 ヨナス『責任という原理』 サルトル『存在と無』 ベルグソン『時間と自由』 レヴィナス『全体性と無限』 フロイト『快感原則の彼岸』 ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』  フォーダー『精神のモジュール形式』 ヤスパース『精神病理学総論』 エレンベルガー『無意識

    wand125
    wand125 2009/05/02
    いつのまにか消えてる!?
  • 量子論と複雑系のパラダイム

    appendix:年表・出典文献リスト・全てのリンク・人 名引き 哲学、宗教、文学、芸術、そして科学など、我々の全ての知的創造行為は「我々は何処から来て、何処へ行くのか」という疑問への探求ではないだろうか? 残念ながら我々は、こうした究極の問いに最終的な回答をだせる知的レベルに未だ至っていない。 この探求に必要なのは、あらゆる分野@の、それぞれの知を一つ一つ検証し、次にそれぞれ検証された知のパーツを結集し統合化を図ることだろう。 しかし、知のパーツは未完成であり、統合化への手法はその存在すら疑問というレベルにある。それ故、究極の理論を組み上げるのは、二重の意味で不可能な状態にあるといえるだろう。 今の我々に可能なのは、それぞれの理論を比較し、矛盾を探し、その根的な問題は何なのか、なぜそれが問題なのか、どこが難しいのか、なにが欠けているのか、何処までが解かっているのかを問い、それぞれの理論

  • シミュレーテッド・リアリティ - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "シミュレーテッド・リアリティ" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2017年11月) シミュレーテッド・リアリティ(英: Simulated reality)は、現実性(reality)をシミュレートできるとする考え方であり、一般にコンピュータを使ったシミュレーションによって真の現実と区別がつかないレベルでシミュレートすることを指す。シミュレーション内部で生活する意識は、それがシミュレーションであることを知っている場合もあるし、知らない場合もある。最も過激な考え方では、我々自身も実際にシミュレーションの中で生きていると主張する

  • 哲学的な何か、あと科学とか

    飲茶な日々 (3日に1度は更新予定の哲学日記) 2008年10月11日 僕の中二病告白 中二病という言葉があるそうです。 ―――――――――――――――――――――― 中二病(ちゅうにびょう)とは日の俗語、スラング。 思春期にありがちな微妙にズレた自意識過剰、 それから転じて起こる数々の「中学二年生くらいの頃に ありがちな言動」を「症状」として比喩したもの。 子供が大人になろうとして、 「大人が好みそうな(と子供が考える)格好いいもの」に興味を持ち、 子供に好かれるようなもの、幼少の頃に好きだった幼稚なものを 否定したりなどする。「もう子供じゃない」「(汚い)大人になりたくない」 という自己矛盾が、実際の大人から見ると非常に「ズレて」おり、 滑稽に見えることが大きな特徴である。 さらに、生死や宇宙について思い悩んでみたり、 政治や社会の汚さを批判してみたり

    哲学的な何か、あと科学とか
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