彫刻家の子として当時の東京府東京市に生まれた。市立東京二中、旧制東京高校、東京帝国大学理学部数学科を卒業後、同大学助教授、東京工業大学教授、旧制武蔵高等学校教授などを務めた。1950年から1952年までプリンストン高等研究所に滞在。 1954年にアムステルダムで開催された国際数学者会議で招待講演[7]を行っている。 小学生のときにアインシュタインの訪日と相対性理論に関するニュースを聞く。東京帝国大学では幾何学を専攻、1934年(昭和9年)に卒業して大学院に進む。同時に東京物理学校の講師に就任。その当時グレゴリオ・リッチ (Curbustro Gregorio Ricci) 、レビ・チビタ (Tullio Levi-Civita) などの絶対微分学が確立されつつある時代で、いち早くその重要性に着目した。またおなじころ、発展中であった、エリ・カルタンの接続の概念に注目し、カルタンの下での研究を