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2011年5月20日のブックマーク (2件)

  • 確かに一瞬納得してしまいそうな理屈 - dongfang99の日記

    バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!だいたい、公立学校の教員は、日国の公務員。税金で飯をべさせてもらっている。国旗、国歌が嫌なら、日公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ。 http://rocketnews24.com/?p=97259 これを「正論」と思っている人が意外に多いようだ。確かに一瞬納得してしまいそうな理屈で、少し考え込んでしまったが、やはり間違っていると思う。 橋下知事に対する疑問は、そもそも国旗・国歌は「国民」のものであって、それに敬意を払うべきなのは公務員も民間企業のサラリーマンも同じではないか、という点にある。サッカーの国際試合で、君が代が流れている時にブーイングを浴びせる人がいるとしたら、たとえ無職の人だろうと「失礼」な態度である。日教組の反国旗・国歌運動のやり方は自分も間違っている

    確かに一瞬納得してしまいそうな理屈 - dongfang99の日記
    wander1985
    wander1985 2011/05/20
    ”橋下知事に限らず、官僚・公務員に民間とは全く異なる高い倫理意識を要求しながら、「民間の常識ではありえない」というダブルスタンダードを振り回す人が少なくない。”
  • 守破離

    守(しゅ)・破(は)・離(り)    「揆奮館について」に戻る       [2006/03/26更新] 稽古を積む課程、すなわち修行における順序を表す言葉で、独自の境地を拓く、道す じとして、師の流儀を習い、励み、他流をも学ぶことを重視した教え である。 一般的には、「守」は、師についてその流儀を習い、その流儀を守って励む こと、 「破」は、 師の流儀を極めた後に他流をも研究すること、「離」は、自己の研究を集 大成し、独自の境地を拓いて一流を編み出すこととして説明され る。 武道における修行が人生に深く関わっている以上その修行には限りがない。すなわち 限りなき修行に没入することを最終的には求めている言葉である。   [参照]武道論十五講、不味堂出版 「守」とは、師に教えられたことを正しく守りつつ修行し、それをしっかりと 身につけ ることをいう。 「破」とは、師に教えられしっかり身につけ