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2011年7月13日のブックマーク (1件)

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson548 当の「ワタシ」ー3.私が私であるために 今回、このシリーズへの投稿を読んで、 いちばん衝撃だったのは、 「時折顔をのぞかせる意外な自分、 そっちこそが当の自分だ。」 と言う人が、かなりの数いたことだ。 すなわち、 「酩酊して死にたいと泣いているズーニーさんこそ、 当のズーニーさんだ。」 という考えだ。 そういう人に共通しているのは、 「ふだんの自分は、当の自分ではない。」 「ふだんの自分は、まわりの顔色をうかがって イイ子を演じている。」 「イイ子というのは、人間味がない。」 「イイ子の陰で、日ごろ抑圧されている 弱く・ヨクナイ子の自分、 それこそが当の自分だ。」 「抑圧されている弱く・ヨクナイ子の自分が 顔を出す瞬間こそ、当の自分になれるときだ。」 こう言いたくなる気持ちわかる、 でも、あやういなあと思う。 「いまここにいる自分は、かりそめの自分だ。」 と

    wander1985
    wander1985 2011/07/13
    ”「もともと人間は、そんなにきれいにひとつの人格でわりきれるものではない」””「ふだんから自己表現をしていこう!」「意外な自分が出てきても過剰反応せず許容。」「意外な自分はたまに散歩させるくらいが丁度