タグ

ブックマーク / yuhka-uno-no-nikki.hatenadiary.jp (9)

  • 同調圧力と世代間コミュニケーション - yuhka-unoの日記

    どうする?40代からのファッション&生き方 「年齢差による居心地の悪さ」って何だ? 周囲との年齢差を意識する(特に若い人との)ということは、 その場における自分の異質さを意識する、 ということなのです。 「おばちゃん」たちがあちこちで賑やかなのも、 常日ごろ、他世代(特に若い世代)との間に 自分の「異質性」を感じて居心地が悪いから、 同世代・同性で集まると思いきり弾けてしまうのかもしれない。 女子高生みたいに。 同世代のおっさんたちが遠い - 24時間残念営業 ま、いずれにせよ同世代のおっさんとはノリがあわないわけなんだが、そうすっと外見や年齢としゃべってることのミスマッチってのが発生する。店のなかにいるときはいい。俺は「そういう人間」ということで通用してるわけだから。でも外に出るとそうはいかない。つまり、会議で俺と似たような年代のおっさんが集まってる場所だ。 実はこういう「ミスマッチ」に

    同調圧力と世代間コミュニケーション - yuhka-unoの日記
  • 自分が嫌われたくない人の気遣いは、「いじめ防衛的気遣い」 - yuhka-unoの日記

    母の、自分が嫌われないための気の遣い方について、色々と考えたところ、あれは、いじめがあるクラスによくある、どこかのグループに属していないといじめられるという雰囲気になった時の、グループ内での気の遣い方に似ていると思った。 相手のための思いやりではなく、ひたすら衝突を避けて、笑顔の仮面の下で、排除される恐怖に怯えている。表面上仲良くしているようで、その実相手のことが嫌いだという、あの感じだ。 おそらく、母の世界観では、社会はこのいじめが蔓延しているクラスのようなものであり、少しでも相手の機嫌を損ねてしまうと、悪く言われてしまうような、そのような考えで生きているのだろう。つまり、母がしているような、自分が嫌われたくないからする気遣いは、いわば「いじめ防衛的気遣い」なのだ。 もちろん世の中には、そういう雰囲気になっている集団はある。私も経験したからわかる。しかし、世の中の全てがこうというわけでは

    自分が嫌われたくない人の気遣いは、「いじめ防衛的気遣い」 - yuhka-unoの日記
  • 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記

    『相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、 id:ekirei-9 理屈はわかるけど具体例がほしい という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。 母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。 学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。 母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入

    自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。 - yuhka-unoの日記
  • 感情を自覚しない感情表現について - yuhka-unoの日記

    感情表現について (内田樹の研究室) http://blog.tatsuru.com/2011/08/10_0940.php だから、他人の内面をダイレクトに操作しようと願う人間−つまり、「政治的な人間」−は、演技的な怒りや演技的な悲しみや演劇的な苦悩に熟達するようになる。 政治家が「過剰に感情的になっている」ように見えるのは、当たり前なのである。 橋下大阪府知事や石原都知事は怒りを剥き出しにすることでメディアの注目を集め続けているが、これは計算ずくのパフォーマンスだろうと思う。 (中略) 二昔前ではまず見ることのなかった、「いい年をした大人が怒声をあげる、泣く、ふて腐れる」という様子を私たちはもう見慣れてきている。 これはたぶん「無理に我慢しないで、感情は爆発させた方がいい」というフェミニストたちがうるさく説いた「専門的」勧告の一つの成果でもあるのだろう。 これはかなり誤解を招く表現なの

    感情を自覚しない感情表現について - yuhka-unoの日記
    wander1985
    wander1985 2011/08/31
    "男性は恐怖を感じても「怖い」と言えず、寂しさを感じても「寂しい」と言えず、恐怖も寂しさも「怒り」という形で表明してしまうので、他人を傷つけてしまう。また、自分が傷ついたのだということを認められない"
  • 相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い - yuhka-unoの日記

    毎日放送関西ローカルのお昼の時間帯に、「ちちんぷいぷい」という情報番組がある。良い意味でのゆるい雰囲気が持ち味で、私はけっこうこの番組が好きで見ている。 その「ちちんぷいぷい」の中に、大吉洋平という若手アナウンサーが、京都の様々な老舗で、一週間(五日間)修行をするというコーナーがある。前回が旅館で、前々回が和菓子屋だった。 和菓子屋での修行の回、従業員たちが新しい和菓子の案を出す時に、大吉アナは、「故郷を離れて働く子供が、親元を離れて初めて親のありがたみがわかって、親に感謝して贈るための和菓子」を提案したところ、和菓子屋の女将さんに、「悪いけど、お利口さん」と評されてしまう。一方、他の従業員は「焼肉を模した和菓子で、名前が『叙々苑』」を提案する。女将さん曰く、こっちのほうが面白い、と。その後、大吉アナは、ポッキーを木の枝に見立てた和菓子を作り、自分の殻を破ることができた。 次に行った旅館の

    相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い - yuhka-unoの日記
  • ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記

    .@nucco 例えば、子どもが、缶蹴りや鬼ごっこをして遊んでいると安心するけれど、DSの画面を見つめてひたすら黙っているという場面を見ると、なんか不安になるというのは、見守る側の大人の素朴な感情としては、どうしてもあると思うんですよ。そこをどうしたらいいんだろう、というか。 http://heis.blog101.fc2.com/blog-entry-216.html たぶん、このDSで遊んでいる子供に対する不安感というのは、一見して何をしているのかわからないという不安感なのだろう。缶蹴りや鬼ごっこなら、子供がどういうルールや世界観の下で、何を考えながら行動しているのかが一見してわかる。しかし、これがゲーム機だと、そういった世界観や思考というものは、画面の中と子供の脳内に存在しているものであり、一見して何をしているのかがわからない。もっとも、この手のゲーム機で遊んだ経験のある最近の親なら

    ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について― - yuhka-unoの日記
  • 「『俺・私は奴隷主だえらいんだ』大会」は、両者の力関係の問題 - yuhka-unoの日記

    「『俺は男だえらいんだ』大会」にはもううんざり、という話 - みやきち日記 http://d.hatena.ne.jp/miyakichi/20110810/p1 この記事のブコメで、「女も同じことやってるじゃないか」という声が多いが、その声の大半は、男がいない時に女同士で自分の彼氏や夫の悪口を言うケースで、元記事のように、わざわざその場に恋人を連れてきて、「こいつをこんなふうに扱える俺自慢」をするのとは全然違う。 で、「女も同じことやってるじゃないか」というケースを考えてみたのだが、これに当てはまるのは、母親による「うちの子こんなにできない子なの自慢」や、姑による「うちの嫁はこんなにダメ嫁なの自慢」になると思う。特に姑のケースはわかりやすいだろう。 つまりこれは力関係の問題だ。力関係が強い立場になると、女も同じようなことをする。 私は前々から、「熟年離婚」と「良い子がキレる」は同じ構造だ

    「『俺・私は奴隷主だえらいんだ』大会」は、両者の力関係の問題 - yuhka-unoの日記
  • 自立とは、自分の心の赤ちゃんのお守りを自分ですること - yuhka-unoの日記

    『愛国心と赤ちゃん願望』でも述べたが、人は「誰からも愛されたい。誰からも受け入れられたい。誰からも特別扱いされたい。誰からも否定されたくない。誰もが自分の望み通りに動いて欲しい。」という願望(幼児的万能感)を、多かれ少なかれ誰でも持っている。欲・睡眠欲・排泄欲が身体の根源的な欲求とするならば、この願望は精神の根源的な欲求だろう。 この願望は、例えて言うなら自分の心の中の赤ちゃんだ。心という家の中に、大人の自分(理性)と赤ちゃんの自分(感情)が一緒に住んでいるようなものだ。 精神的に自立するということはつまり、自分の心の赤ちゃんのお守りを自分でできるようになるということだ。赤ちゃんの話をよく聞いてやり、落ち込んでいたら抱き締めて慰めてやり、怒りを抱いていたら適切に発散できるよう取り計らう。 たまには、誰かに慰めてもらったり励ましてもらったりと、赤ちゃんの世話を他人に手伝ってもらうこともある

    自立とは、自分の心の赤ちゃんのお守りを自分ですること - yuhka-unoの日記
  • 男女別学で成績が上がる理由の一つは、偏見に囚われない教育ができるから - yuhka-unoの日記

    男女教育は学力アップ」 シンポで報告  - MSN産経ニュース http://sankei.jp.msn.com/life/education/100815/edc1008152034007-n1.htm 結論から言うと、男女別にすると成績が上がるということはありえる。その理由は、世間に存在する性への偏見のせいだ。 男女が混ざっている環境では、男は「女性的役割」とされていることはせず、女は「男性的役割」とされていることはしない、ということになりやすい。一方、男だけ、または女だけの集団では、男も女も「男性的役割」「女性的役割」とされていることの両方をこなさなければならなくなる。つまり、別学のほうが、性偏見に囚われず自分のしたいことに挑戦しやすい、というメリットがあったりするのだ。 ブコメでも、それを指摘しているコメントが見受けられる。 id:n-y-a 女子校についてはジェンダーにとらわ

    男女別学で成績が上がる理由の一つは、偏見に囚われない教育ができるから - yuhka-unoの日記
    wander1985
    wander1985 2010/08/16
    なるほどなー…。これは面白い。
  • 1