プロ野球の広島東洋カープの黄金期にエースとして活躍し、球団初の200勝投手となった野球解説者の北別府学(きたべっぷ・まなぶ)さんが16日、広島市内の病院で死去した。2020年1月、血液がんの一種である成人T細胞白血病(ATL)を公表し、5月に次男の骨髄を移植する手術を受けた。昨年6月には敗血症の発症を明かし、闘病生活を続けていた。65歳。鹿児島県出身。 <関連記事>北別府学さん、写真で振り返る栄光の野球人生 <関連記事>カープが生んだ200勝投手、北別府学さんの足跡~中国新聞の記事から 宮崎・都城農高からドラフト1位で1976年に入団。「精密機械」と評された制球力と投球術で、78年から11年連続で2桁勝利をマークし、投手王国をけん引。5度のリーグ優勝と3度の日本一を支えた。 79年はチーム最多の17勝をマークし、球団初の日本一に貢献。82年は自己最多の20勝を挙げ、沢村賞と最多勝に輝いた。