愛情も、批判も注がれた6年間だった。 名古屋グランパスの伝説的な選手だったドラガン・ストイコヴィッチが、指揮官としてクラブに還ってきたのが2008年。3月、リーグ開幕を告げる京都サンガF.C.戦が行われた豊田スタジアムで、彼はサポーターから『ピクシー』コールの大声援に包まれ迎えられた。 試合後、感謝の言葉を紡いだ。 「今日は私の最後のホームゲームです。名古屋には、たくさんの思い出があります。ファンの皆さん、本当にありがとうございます。私は、皆さんのことを忘れません」 彼が発したのは、日本語だった。選手時代に7年、監督として6年、計13年もの間を過ごした、ここ日本。実は、いまでは日本語の意味もかなり理解できている。また彼の大好物が納豆と鮎の塩焼きというのもよく知られている。「私は日本を、名古屋を愛している」この言葉に、嘘や陰りはない。 Jリーグが発足して以降、リーグ戦でチャンピオンの座につい