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ブックマーク / wararchive.yahoo.co.jp (2)

  • 待ち受けていたのは

    太平洋戦争末期。航空機による特攻が連日報道される中、世間に知られることなく展開された特攻部隊がありました。広島の暁部隊。そこにはボートによる特攻訓練をする少年兵がいました。元少年兵は「爆弾を積んで夜襲をかけた。1名1艦。みんな戦死だもん」と語ります。しかし、命を失う覚悟を決めた彼らを待ち受けていたのは、"特攻"ではなく"原爆"でした。戦後79年。多くの元少年兵が90代半ばを迎え、取材を受けることが難しくなる中、岩手県に住む男性が取材に応じてくれました。元少年兵「(ピカッと光った瞬間に)皮膚が焼けたからギャーワーもうすごかった。『兵隊さん助けて助けて』って。とてもとても...」。元少年兵の見たものとは... 元少年兵の被爆証言 ~陸軍に志願、そして原爆投下~ 岩手県遠野市。日の原風景が残るのどかな町。「遠野物語」で知られる民話のふるさととしても有名です。そんな町で生まれ育った伊藤宣夫さん、

    待ち受けていたのは
    watto
    watto 2024/08/12
    特攻の美化、絶対ダメ!
  • 墜落した血まみれのアメリカ人 いきり立つ住民 処刑した日本兵 戦争の被害と加害 #戦争の記憶 - 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN

    「私には若く見えました。両手を縛られだいぶ血を流していたのを覚えています」 熊県八代市に暮らす塚太さん(83)。自宅の近くに墜落した米軍機を目撃しました。初めて見た外国人は、自分のふるさとを攻撃したアメリカ人の搭乗員でした。(取材:熊県民テレビ 松茜) 地元に墜落した血まみれの搭乗員 1945年7月と8月。現在の熊県宇城市松橋町一帯は、終戦の5日前まで続いた3度の空襲で大きな被害を受けました。2度目の空襲が行われた8月7日、空襲に参加した米軍のB25・エアパッチが現在の熊県八代市鏡町の氷川に墜落しました。 同じ空襲に参加していた米兵は米軍の任務報告書のなかでこのように証言しています。 「天気は快晴、視界は良好だった。私は当該機の左後方から『右方向へ行け』と言った。機体のコンディションは良好に見えていたがやたらと遅くなったと感じた。(中略)当該機は編隊を離れて南方向にまっすぐに飛

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    watto
    watto 2023/08/14
    15日は台風7号に最も警戒が必要な日であるが、終戦記念日(敗戦記念日)であることも忘れてはならない。
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