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小学生の頃に英語に興味を持って勉強を続けて弁論大会に出たら「うちの子は英語できるんです」と人前で自慢なのか褒めるのか、そういうのに虫唾が走って英語を止めた。 それから生物学に興味を持って勉強を続けてたら「うちの子は生物に詳しくて将来は理系の大学に進めたいの」と人前で自慢されて、そういうのに虫唾が走って生物学を投げた。 中学生の頃にパソコンの仕組みに興味を持ってプログラミングを勉強し始めて校内行事で3位以内にを入ったら「うちの子はプログラミングできるんです」と人前で褒められたのに虫唾が走ってプログラミングを止めた。 それから近くにラテン系の人のお店があって、そこの人と仲良くなってポルトガル語を喋ろうと頑張ってたら「うちの子はポルトガル語まで喋れるの」と人前で褒められたのに虫唾が走ってお店に行かなくなった。 親から離れるために全寮制の高校に入ったら「うちの子は何でも独りで出来て今の子と違うんで
彼は高校の頃からの友達で、元々本を読むのが好きらしく、国語の担任とヘッセや星の王子さまの作者(名前失念)の話を楽しそうにしていた。 オタク趣味がない女の子も深夜帯で放送していたアニメ「君に届け」を視聴していたり、当時アニメは市民権を得ていたが、彼はアニメを馬鹿にするわけでもなく、ただ単に興味が無いようで全く観ていなかった(最後まで観たのは世界名作劇場のハイジとラスカルぐらいらしい)。かと思えば、昔の少女漫画について異様に詳しかったり、腐女子のBLトークに顔色ひとつ変えず介入して「それって~~ってことなの?」と楽しそうにやりとりしていたりと、本当なら担任と本について話していた方が楽しいだろうに、自分の嗜好を棚に上げて自分の土俵外で相手まで楽しませる彼を私は尊敬していた。 高校卒業してから彼とは何度か食事に出かけていて、この間中野ブロードウェイに遊びに出かけた。彼がどんな漫画を手に取るのか、気
※本記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています 万事、「一番好きな〇〇」というのは案外答えるのが難しいもので、ゲームだろうと漫画だろうとアニメだろうと、「どれが一番好きか」といわれると考えこむ人が多いのではないかと思うんです。 「一番好き」自体が入れ替わることも本来全く珍しくなく、さまざまな新しいコンテンツを取り入れて、瑞々しい感性で自分の「好き」を更新し続けている人も数多くいます。とても素晴らしいことだと思います。 ただしんざきの場合、頭が非常にシンプルにできているためか、あるいは感性がほとんど成長していないのか、「一番好き」が更新されることがなかなかなく、割とあっさりと「一番好きな○○」を答えてしまう傾向があります。 ライター:しんざき SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ、三児の父。ダライアス外伝をこよなく愛する横シューターであり、今でも度々鯨ルートに挑んではシャコのばら
†┏┛墓┗┓† @darekanohaka 正月ずっとゲームしてた甥が「いい加減ゲームやめろ」と両親から怒られても聞かず、見兼ねたじぃじが「よし!これで遊ぼうか」と大きな紙飛行機を作ったら甥の目はそれを見てキラキラ輝き、スマホを放り投げ外に飛び出した。 彼らに必要なのは規制ではなく「ゲームを越える程夢中になれるもの」の存在 2020-01-11 10:31:08 †┏┛墓┗┓† @darekanohaka 予想以上に伸びてしまって宣伝するなら今だ!と言われたものの、せっかく「じぃじ」こと私の父の良いところが広まってるので父がこよなく愛する実家のワンコ貼っておきます!!!! このツイートに出てくる甥よりちょっとお兄さんで、生まれた頃から構ってあげてる心優しいイケメンです🐶 pic.twitter.com/9JLmDx9WQY 2020-01-11 22:17:06
最近ADHDと診断された30代東大卒男だが、わかる。問題はバックレるかどうかじゃなくて、「成功する可能性」だけで満足できてしまうこと。 実際に成功するかどうかは本人の幸福にとって問題じゃないんだよ。だからといって、一般の人が思う「失敗を怖がっている」とか「プライドが高い」とかも完全に的外れの大間違い。 「まだチャンスがあると思える」事の方が、実際にチャンスを生かして成功することよりも、自分の幸福にとって、ずっと重要なんだよ。 失敗しまくっているから、失敗しても自分の人生がそこまでは悪くならないと知っている。成功体験がないのが問題でもなく、何回も成功した経験はあるが、大して嬉しくなかった。ADHDは報酬系にも問題があるから、成功時の「得した」感が普通より低い。だから、実際に成功したか失敗したかよりも、「成功する希望があるか」「成功する可能性があるか」といった期待感を持てるかどうかの方が、本人
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