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マンガとレビューに関するwebmarksjpのブックマーク (11)

  • マンガがあればいーのだ。 「マンガがあればいーのだ。」が選ぶ、2007年マンガベスト30+10!(前編)

    02<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>04 マンガはやっぱり面白い。 そうしみじみと感じさせてくれた1年でした。 実は2007年は圧倒的に飛び抜けた作品が無かったと個人的には感じています。 ただ、その分多くの作品に光が当たった年だったとも。 日々沢山のマンガが生まれる中で、光輝く作品たち。 一つでも多く、その光を浴びたいと思うからマンガを読み続ける。 その光は、日々の生きるエネルギーをくれる。 マンガの持つエネルギーは、時に自分の人生を変えてしまう程なのだ。 だからマンガは面白い。そんなマンガに、死ぬまでにあと何回出会えるだろう? というわけでそんな沢山のマンガの中から、 マンガがあればいーのだ。が選ぶ2007年ベストマンガ。 今年は更に拡大してベスト30+10作品の計40作品をセレクトしてお届けします。 か

  • さて次の企画は - 95年エヴァンゲリオン文化圏の終わり――知的な塹壕としての「ゼロ年代の想像力」スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」完結について

    日常の忙しさに忙殺されてしまっていて、ブログの更新が滞ってしまった。とはいえ、この07年5月が終わってしまう前にどうしても書かねばならないことがあるのは、繁雑さに目がくらみつつも、大変喜ばしいことだと思う。 それがSFマガジンでスタートした宇野常寛「ゼロ年代の想像力」連載スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」の完結だ。 乙木個人としては、この二つと進行中のいくつかの事柄を合わせ見て、 「ようやくエヴァンゲリオンに象徴される、95年文化圏の終わりが来たな」 ということを深く感じてしまう。 群像新人賞評論部門でのあの「セカイ系論文」(いや、未熟だけどな)があったのも、ひょっとしたらこの5月という変転の前哨の一つとして言えてしまうのかもしれない(笑) ま、それはともかくこのエントリでは感想をただ書くというよりは、宇野常寛「ゼロ年代の想像力」とよしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」が如

    さて次の企画は - 95年エヴァンゲリオン文化圏の終わり――知的な塹壕としての「ゼロ年代の想像力」スタートと、よしながふみ「フラワー・オブ・ライフ」完結について
  • マンガがあればいーのだ。 マンガがあればいーのだ。的、2006年マンガベスト20!+10!

    07<< 12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>09 マンガが大好きです。 ここを見て頂いてる方のほとんどが同じ想いだと思います。 今年も沢山のマンガが生まれ、僕らの元に届けられました。 今や飽和状態とも言われるマンガ市場の中で、 光り輝く作品たち。そんな作品たちに敬意を表し、今年もやります。 「マンガがあればいーのだ。」が選ぶ2006年マンガベスト20!! 管理人たかすぃが感じた、今年最も輝いた作品をベスト20方式で発表。 去年とはガラっと変わったランキング、 今年僕らを楽しませてくれた作品たちを一気にご紹介します。 そして惜しくもベスト20には入らなかったものの、 2007年に期待したい10作品も併せてご紹介。 2006-2007年、年をまたいで持って行きたい30作品はこれだ!! ではどーぞー!! ※対象作品は20

  • 2007-06-18

    雨宮まみ氏が自身のサイトで述べているが、ひぐちアサという漫画家は、『おおきく振りかぶって』しか読んでいない人には判らないけれど、実はかなりダークサイドを持った漫画家である。 おおきく振りかぶって - 雨宮まみの「弟よ!」 特に8巻では、そのダークサイドが壁の向こう側からそっと顔をのぞかせているようであり、乙木としてはココがたまらない。 画像は内容とは全然関係ないが、篠崎愛ってことで。 花井(192P) 「中学で会っていたらオレァ間違いなくイジメ側に入ってたなー 「よかった 出会いが高校で」 仲沢呂佳(216P) 「いよう 負け犬」 仲沢利央 「う……兄ちゃん 帰ってたの」 仲沢呂佳 「洗濯モン とりにきたんだよ 負け犬」 仲沢利央 「ちょっとお」 仲沢呂佳 「なんだよ 負け犬」 仲沢利央 「その呼び方 やめてよォ みんな がんば……っ」 仲沢呂佳 「甘えたこと言ってんじゃないよ? 「そんな

    2007-06-18
  • 2007-04-05

    週刊少年サンデーは危機的状況である。去年の1年間で実売が100万部から80万部に落ち込んでいる。 サンデーを支える三人の支柱の一つ、藤田和日郎が講談社モーニングでシリーズ連載を開始する。おそらくクライマックスを迎えつつある犬夜叉が終わったらサンデーは終了するんじゃないかというぐらいの体たらくだ。 そこにようやくベテラン・西森博之が帰ってきた。しかもかなり良さそうな感じである。この作品自体がサンデーの売れ行きを伸ばすと言うことはないだろう……けれどもやはり着想力に優れた西森博之だけあって、おそろしく現代性のあるテーマを含む物語を語り始めた。 かつて週刊少年サンデー読者だった人、もうサンデーは駄目だと見きった人であってもぜひ一読を勧める。 そんなサンデー期待の新連載「お茶にごす。」を最速レビューする。 ■西森博之と少年サンデーの不良マンガのひな形 学校のマンガ研究会に置かれていると言われるサン

    2007-04-05
  • 漫画に関するWebページ「OHP」

    ▼作家別単行リスト 岡崎二郎 / 海明寺裕 駕籠真太郎 / 唐沢なをき SABE / 天竺浪人 塀内夏子 / ほしのふうた 掘骨砕三 / 町田ひらく 町野変丸 / 松大洋 山田芳裕 / 山直樹 吉田戦車 ▼雑誌収録作品リスト ビーム / バーズ (2004年11月号分まで) ▼おしらせ  (2014/10/15) 2014年10月14日にサイトを設置しているレンタルサーバーにトラブルが発生いたしました。サーバーのHDDが破損したとのことで、HDDに記録されていた内容がすべて吹っ飛びました。 OHPについてはバックアップからできる範囲で復元しましたが、CGIなどを利用していた部分については、復旧が遅れています。 また、OHP全文検索はしばらく行えません。 ブログ版「OHP+」のほうのデータもたぶん復旧不可だと思います。 もし何かご連絡等ありましたら、私のメールアドレス tshibat

  • アニマライト

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    アニマライト
  • 漫画レビューサイト〜ほんのきもち〜

  • 『主文、大友克洋は死罪。映画「蟲師」:オダギリジョー 蒼井優』

    ■DVD:「蟲師 通常版/大友克洋完全監修 蟲箱」 ●主演:オダギリジョー、監督:大友克洋で「蟲師」が実写映画化 >問題は大友克洋である。 >私はもう、大友の泉は枯れたと思っているのだ。 >「スチームボーイ」で、疑惑は確信になった。 >そんな大友に実写の監督を任せるとは・・・ 上記の過去ログは、2005年10月のものである。 1年半前からある程度覚悟していたとはいえ・・・これは酷い。 【あらすじ】 今から100年前の日には、「蟲」と呼ばれる妖しき生き物達がいた。 彼らは時に人に取り憑き、様々な厄災をもたらす。 蟲に引き寄せられるように旅を続けるギンコ(オダギリジョー)は、 蟲を見つけ、蟲と対話し、蟲を払うことで多くの人々を癒して来た。 人は、彼のような人間を「蟲師」と呼んだ。 ある日、雪深い山で一夜の宿を借りたギンコは 庄屋の女将(りりぃ)から相談を受ける。 孫娘の真火(守山玲愛)の額に

    『主文、大友克洋は死罪。映画「蟲師」:オダギリジョー 蒼井優』
  • 読むまでバカにしてたのに読んだら面白かった漫画

    [漫画サロン] 1 マロン名無しさん age 2006/09/03(日) 17:32:57 ID:??? そういうのあったら挙げてみる。 【タイトル】 【読む前】 【読んだ後】 2 マロン名無しさん sage 2006/09/03(日) 17:36:32 ID:??? 【タイトル】 魁!男塾 【読む前】 普通に暴力系DQN漫画だと思ってた 【読んだ後】 むしろギャグだった 5 マロン名無しさん sage 2006/09/03(日) 17:44:24 ID:??? 【タイトル】 ジョジョ 【読む前】なんだこの絵、ゴチャゴチャしてて気持ちわりぃwwww 【読んだ後】 アリーヴェ デルチ 7 マロン名無しさん sage 2006/09/03(日) 17:49:52 ID:??? 【タイトル】ARMS 【読む前】 話だけ聞くと単なるインフレ漫画だな 【読んだ後】 人の足を止めるのは絶望ではなく「諦

  • 真鍋昌平『闇金ウシジマくん』――呉智英の「平板さ」にもふれて - 紙屋研究所

    真鍋昌平『闇金ウシジマくん』 ――呉智英の「平板さ」にもふれて ※9巻の感想はこちら 前回につづいてまた呉智英ネタで申し訳ない。 前回ぼくは、呉について、オタク的知識の幅広さ、古典や教養をひも解くペダンチズムゆえに面白いけども、その論じ方に「平板さ」があって、それは呉が戦後民主主義や左翼的良識への対決を売り物にしてきたために、その仮想敵の影響力が小さくなった現在では単純な対決図式だけが残ってしまったことを起源にしている、というむねを述べた。 この「平板さ」について、『団地ともお』や梶原一騎、近藤ようこの作品などを例にぼくはのべたが、たとえばそういう「平板さ」は、『闇金ウシジマくん』の読みなどにも現れてしまう。 呉は『マンガ狂につける薬 下学上達篇』において、「爛熟した文明に出現した『下流』」と題して、三浦展『下流社会』とあわせて真鍋昌平『闇金ウシジマくん』を評している。 はじめに結論を書い

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