格差社会って何だろう - 内田樹の研究室 人生論として見るなら別に個人の自由だから構わないけれど、これを社会全般に適応させるのは間違ってるよね。しかも、現状認識もズレてる気がする。 まず、「格差社会」なんて言葉が出てくるようになったのは、もちろんメディアが過剰に騒ぎ立てている部分もあるけれど、餓死者や自殺者といった「貧困の犠牲者」と「ネットカフェ難民」のようなその「予備軍」が目に見えて増加してきたからに他ならない。 彼らに必要なのは具体的な「住居」であり「食事」であるが、自給自足が可能な環境でない限り、「住居」と「食事」は「消費」という手段を経なければ手に入らない。またそうした環境を獲得し維持するための「職」と「収入」も必要となれるが、それらは往々にして「収益の最大化」を強く求められる。それを拒否すれば「職」と「収入」が消失し、「消費」を通じた「住居」と「食事」の確保もできなくなる。政府に
「だいじょうぶよ」というのが、その頃の妻の口癖だった。つづく言葉は、「なんとかなるって」。そう言って、いつも疲れてはいるけれど屈託のない笑みを浮かべるのだった。(中略) だが、いまの妻は、めったに「だいじょぶよ」とは言わない。「なんとなるって」が「なんとかするわ」に代わってから、もうずいぶんたつ。(中略) 「俺、7時半に帰ればいいよな」 「だいじょうぶ?」 「なんとかなる」 私もこんなふうに言っていたのだ、確か、昔は。 重松清『ナイフ』新潮文庫、p.302およびp.378 さて、好評の(?)少子化エントリの第3弾である。 「子供を産まない理由」として、しばしば挙げられるのが「経済的要因」である。つまり、「子どもを育てるのにはお金がかかる」というものだ。 ここから、子どもを産まない人々のモラルの欠如を批判する声が時に噴出する。「今の恵まれた日本社会で『お金がかかる』などとは理由にならない」、
昨日のNHKスペシャルの『人事も経理も中国へ』というやつを観た。 http://www.nhk.or.jp/special/onair/070903.html これまでは(海外への)アウトソーシングが困難と思われてきた人事や経理や総務の仕事が、実は半分くらいはマニュアル化可能で、アウトソーシングできてしまうということが語られていた。 中国の大連では日本語教育に力を入れており、日本語という言語の壁すらなくなっているのだ。 番組では総務ひとすじで20年働いてきたサラリーマンが、「明日から何か自分の仕事は自分で見つけてくれ」と突きつけられる。 ブログのねた的には、社会保険庁の年金の管理業務は中国でやらせればいいよねとか、子どもの夏休みの宿題を大連でやらせれば、読書感想文は2万どころか、5000円くらいで済むじゃない? とか考えたけど、それどころじゃないよね。 出版で言えば、印刷や製本がマレーシア
Filed under backlash, economics Posted on 2006/07/08 土曜日 - 15:20:07 by admin You can leave a response, or trackback from your own site. http://macska.org/article/145/trackback/ 35 Responses - “共感はできても賛同してはいけない「『バックラッシュ!』を非難する」” 匿名 Says: 2006/07/08 - 20:55:01 - > 「なぜバックラッシュに対する感情的な反感が発生するのか」というのは明らかに複数の論文の中心的な課題 えっ、そうだったんですか?わたしゃ買ってないのですが、販促ブログとか読んでて「なぜバックラッシュ(そのものや、それ)に対する感情的な『共感』が発生するのか」解説した論文がたく
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