映画とHistoryに関するwfwfのブックマーク (10)

  • バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった

    『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985) 2015年10月21日は、マーティと彼のガールフレンドのジェニファー、そしてタイムマシンを開発したドクが1985年の10月からタイムトラベルしてきた日だ。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』3部作(1985~1990年)の第2部では、2015年という“未来”が舞台となっていた。映画を観直して、我々が生きる現在の光景や生活と比較してみるのも楽しいかもしれない。 さて、今回は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(BACK TO THE FUTURE/1985)の第1部を振り返りたい。やはり何と言ってもマーティがロックンロールの歴史を塗り替えた場面があるし、間違いなくシリーズ最高傑作なのだから。 すべては「もし、自分と同い年の父親や母親と会ったなら」という、脚家ボブ・ゲイルの空想から始まった。大人にも若者だっ

    バック・トゥ・ザ・フューチャー〜1955年のあのパーティでロックの歴史が変わった
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    wfwf 2015/10/21
    本日2015年10月21日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の登場人物たちが1985年からタイムトラベルしてきた日。
  • 黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”

    “約束の地”アメリカに辿り着いたアイルランド系移民の夢と現実 広大なアメリカ大陸の音楽を見渡す時、アイルランド系移民の存在を避けて通ることはできない。その果たした役割はあまりにも大きい。しかし、その文化的栄光の影には、想像を絶する苦難の歩みがあった。 1775年にアメリカで独立戦争が始まった頃、宗教的迫害によってアイルランドからの出国を余儀なくされた最初の移民が東部の僻地山岳帯アパラチア(※1)に入植した。 「スコッツ・アイリッシュ」(※2)と呼ばれた彼らは異国の地でも独自の文化を守り、ウイスキーの密造や祖国の音楽やダンスを通じて(※3)、過酷な現実から生じる疲れた心と身体を癒すことになった。また、強い反英感情を持った彼らは独立戦争でも果敢に戦って、新しい国で自分たちの存在意義を見出していった。 もう一つ特筆すべきは、19世紀半ば頃から大量に流れてきた移民たち。1845年、アイルランドでは

    黒人の“ブルース”に呼応したアイルランド系移民の“ハイロンサム”
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    wfwf 2015/09/09
    ハイロンサムという感覚について。
  • さらば青春の光〜“完璧な10代のライフスタイル”を追求したモッズ族

    『さらば青春の光』(Quadrophenia/1979) それは1973年の初め、暗く冷たい冬の夜。27歳だったピート・タウンゼンドが自宅のコテージに一人座りながら、記憶の旅に出たのが始まりだった。 新しい音楽と物語の構想に明け暮れていたピートの心に、突如として1964年のブライトン・ビーチでの想い出が蘇ってきたのだ。自分はロックスターとしてではなく「ファンの担い手となるべき」と考えていたピートは、ノートに一人のモッズ少年を主役にした風景を綴っていく。 その新しい音楽と物語である『Quadrophenia』(四重人格)は1973年10月にリリースされ、大ヒットを記録。ブックレットには写真家イーサン・ラッセルによる40ページものモッズ族のフォト・ストーリー(下の写真)が収録され、ピートが心に描いた風景をヴィジュアルとして見事に再現していた。 それから6年後、パンクを機に音楽シーンが若返ってい

    さらば青春の光〜“完璧な10代のライフスタイル”を追求したモッズ族
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    wfwf 2015/08/26
    モッズのバイブル。
  • ハーダー・ゼイ・カム〜持つべき権利のために搾取体制と闘う姿を描いたレゲエ映画の名作

    『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come/1972) カリブ海に浮かぶ小さな国ジャマイカで、1972年に初めての自国製作映画が劇場公開されようとしていた。 カリブシアターの前は上映数時間前から数千人もの人々で溢れ返り、座席を求めてパニック状態。ドアやフェンスは破壊され、劇場内では一つの席に3人が座っていたという。それから多くの観衆はスクリーンに熱い声援と限りのない共感を送りながら、“自分自身”を見つめることなった。 ジャマイカ3部作を構想していたんだ。第1作は都会を舞台に、第2作は田舎を。そして第3作は国を動かそうとする都会と田舎の人間の精神のぶつかり合いを描こうと思っていた。 『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come/1972*日公開は78年)を製作・監督したペリー・ヘンゼルは、ビジネス目的の白人としてではなく、自国の文化を愛する一人

    ハーダー・ゼイ・カム〜持つべき権利のために搾取体制と闘う姿を描いたレゲエ映画の名作
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    wfwf 2015/08/19
    これはレゲエとともに立ち上がった、権力や体制との闘いの物語だ。
  • ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』

    ピート・タウンゼンドが真冬に綴ったモッズ少年の物語『四重人格』 1973年初め。暗く冷たい、冬の週末の夜。 27歳のピート・タウンゼンドは自宅のコテージに一人座り、逆巻く川や隙間風の音を聞きながら記憶の旅に耽っていた。ここ数ヶ月もの間、家族や友人、バンドとステージにいる時でさえ、新しく生まれつつある“音楽と物語”のことが頭と心から離れない。しかし、今夜は違った。 1964年。私はアートスクールの友人と一緒に、ブライトンの桟橋の下で数時間眠ったところだった。友人の名前はリズ・リード。ストロベリー・ブロンドの可愛い子だった。 突如として、19歳だったあの日が蘇ってきた。二階にはや子供たちが眠っている。ピートはノートをつかむと、何かに取り憑かれるように走り書きを始めた。この悲しくロマンチックな気持ちのまま綴りたかった。ジミーという名のモッズ少年の物語。ロックオペラ『Quadrophenia』(

    ピート・タウンゼンド〜真冬のコテージで綴り始めた『四重人格』
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    wfwf 2015/08/15
    「怒れるゴロツキ」から「ファンの担い手」へ。
  • 愛と呼ばれるもの〜23歳で逝ったリバー・フェニックスの遺作

    『愛と呼ばれるもの』(The Thing Called Love/1993) 若くして亡くなった映画スターたちと言えば、真っ先に思い浮かぶのがジェームズ・ディーン(享年24)。彼がもっと生きていれば、一体どんな作品を届けてくれていたのだろうか? ヒース・レジャー(享年28)やブルース・リー(享年32)、ジョン・ベルーシ(享年33)などにも同じことを想う。1980年に50歳で逝ったスティーブ・マックイーンなんて、きっと今頃は世界最高の名優として君臨しているはずだ。 そんな中、1993年10月にわずか23歳という若さでドラッグが原因で命を落としたリバー・フェニックスのことが忘れられない。この若者がもし生きていれば50歳過ぎ。キャリア最高の作品に出演して、我々を楽しませたり感動させてくれていると思うと、当に残念でたまらない。 リバーの遺作として知られる『愛と呼ばれるもの』(The Thing

    愛と呼ばれるもの〜23歳で逝ったリバー・フェニックスの遺作
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    wfwf 2015/08/12
    音楽の聖地ナッシュヴィルでの物語。
  • ラブ&マーシー 終わらないメロディー〜ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの物語

    『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』(LOVE&MERCY/2015) 1982年11月、ビーチ・ボーイズのメンバーから「解雇」を言い渡されたブライアン・ウィルソンは、その言葉がしばらく理解できなかった。「ビーチ・ボーイズを創ったのは僕なんだぞ!」と叫んでも、ドラッグやアルコールに溺れた退廃的な生活のせいで、遂に体重150キロ以上にまで達した彼の姿は、まるでグッドイヤーの飛行船のような身体だった。 当時の僕は、ドラッグ・トリップを繰り返す不幸な60年代を引きずったままの麻薬常用者だった。僕は深い霧のかかったような状態の中で生きていた。 頭の中に入ってくる知覚や心象は、理解できる記号にだけ置き換えられ、現実はキュビストの作品のように歪み、砕け散っていた。 僕はいつでも死ぬことができた。何度も自分にそう言い聞かせ、ただひたすら来るべき瞬間を期待して待っていた。いつも死に向かうジェットコース

    ラブ&マーシー 終わらないメロディー〜ビーチ・ボーイズとブライアン・ウィルソンの物語
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    wfwf 2015/08/05
    ブライアンの苦悩と復活に感動。
  • フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け

    『フラッシュダンス』(FLASHDANCE/1983) ポップカルチャーの足跡を振り返る時、1983年はとても興味深いことに気づく。日/東京では、その年にディズニーランドの開園があった。女子大生ブーム、ファミコンの発売、レンタルレコード店やウォークマンの普及、『戦場のメリークリスマス』の公開、尾崎豊のデビューといった出来事もすべてこの年だ。 音楽シーンでは、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が世界規模で大ヒットし、マドンナやシンディ・ローパーがデビューした。1981年に開局したMTVの力が一気に高まった時代でもあり、その影響でヴィジュアル性に富んだイギリスのNew Waveグループや長髪メイクのヘヴィメタル勢もヒットを連発し始めた。 そして映画では、多くのYAスターを生んだ『アウトサイダー』が思春期の少年少女たちを魅了する中、女性たちに支持されたのが『フラッシュダンス』(FLASHDAN

    フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け
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    wfwf 2015/07/16
    この映画からサントラブームが始まった。
  • ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情

    『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014) 「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」「ファンキー・プレジデント」「ショービジネス界一番の働き者」「ソウル・ブラザー・ナンバー・ワン」などの愛称で知られるあの「JB」こと、ジェームス・ブラウンの伝記映画『ジェームス・ブラウン〜最高の魂(ソウル)を持つ男』(Get on Up/2014)。 ライブシーンが圧巻のエンターテインメント作品というだけでなく、これまでの数々の伝説の裏に隠された真実が描かれつつ、一人の苦悩する男の人間ドラマとして実に見応えあるストーリーとなった。 ジェームス・ブラウンは、俺にインスピレーションを与えてくれた。たくさんのことを彼から学んだよ。彼の動きを真似るということではなく、彼の態度、仕事ぶり、そうしたものを学んだ。彼が成し遂げたことを尊敬している。彼の伝記映画の作り手となれて光栄だ。

    ジェームス・ブラウン/最高の魂(ソウル)を持つ男〜伝説の裏に隠された真実と友情
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    wfwf 2015/05/27
    あの「JB」ことジェームス・ブラウンの伝記映画が今週末より公開。
  • モーターサイクル・ダイアリーズ~南米大陸縦断の旅で「革命家チェ・ゲバラ」は生まれた

    『モーターサイクル・ダイアリーズ』(The Motorcycle Diaries/2004) 黒のベレー帽を被ったチェ・ゲバラの顔がプリントされたTシャツや煙草やポスターを見たことがある人は多いと思う。また、ベニチオ・デル・トロ主演の映画『チェ 28歳の革命』や『チェ 39歳別れの手紙』では、1959年にバティスタ独裁政権をフィデル・カストロとともに倒してキューバ革命を成就させる姿、再び革命の地として選んだボリビアでの1967年の壮絶な死について描かれていたことも記憶に新しい。 革命家としての彼を知るにはたくさんの書物や映像が残れているので、そちらに触れてみるのが一番だろう。「真の革命家は偉大なる愛によって導かれる」と発言したチェ・ゲバラは、南米では伝説的/象徴的存在として死後50年以上経った今でも多くの人々の心の中に生きている。 Che Guevara 1928.6.14-1967.10

    モーターサイクル・ダイアリーズ~南米大陸縦断の旅で「革命家チェ・ゲバラ」は生まれた
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    wfwf 2015/05/06
    革命家チェ・ゲバラ、23歳の時の伝説の南米大陸縦断の旅について。
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