2015年5月12日のブックマーク (3件)

  • なぜ地方創生はみんなで決めるとダメなのか

    このように、集団での意思決定では、皆が集まって議論をすればいいことが導けるとは限らないということを十分認識して取り組む必要があります。 ワークしないワークショップやめ、少数チームで挑戦を 先日、とある自治体の責任者が私のところに立派な冊子を持っていらっしゃいました。お話によると、1年間かけて、その地域の30人ほどが何度か集まり、ワークショップを行い、作成したということでした。デザインされており、綺麗な表紙に参加者の似顔絵までついていました。それに1500万円の税金が費やされたそうです。 皆の意見をたとえ出しあったとしても、それが何か具体的変化を生み出していないとなれば、全くの無駄だと私は思っています。事実、残念ながらその自治体には何の変化も起きていません。やはり彼らが出した結論については、今回のコラムで指摘した通り、多くの問題が含まれていました。皆が議論し、合意したからといって地域を救える

    なぜ地方創生はみんなで決めるとダメなのか
    whataru
    whataru 2015/05/12
    1人の決断行動による変化予測性の確率論的危うさを伏せ、実は集団にかかるバイアスはそのまま形を変えて1人の方にも当てはまるのを、恣意的な例で誤魔化し、本質を見失って改革者賛美というバイアスに至る。愚か。
  • オウム真理教事件から20年、学ぶべきだった「普遍性」とは 森達也さんに聞く

    1995年5月16日、オウム真理教(現・アレフ)の麻原彰晃教祖は、2カ月前にあった地下鉄サリン事件の殺人、殺人未遂容疑で逮捕され、のちに坂弁護士一家殺害事件や松サリン事件など13事件を指示した疑いで死刑判決が下った。山梨県の山中にあった「第6サティアン」にいた麻原教祖を警視庁が連行してから、まもなく20年になる。 テレビディレクターとしてオウムの事件に遭遇して以来、「A」「A2」など、オウム信者にレンズを向けたドキュメンタリーを撮ってきた映画監督の森達也さんは、事件が日社会にとって大きな転機になったと訴えてきた。麻原教祖が一審法廷で意味不明な陳述を繰り返し、主任弁護人の逮捕や、東京高裁が控訴趣意書の未提出を理由に一審の死刑判決を確定させるなど、異例の展開をたどった裁判について「最も重要な要素である動機が解明されていない」とも指摘する。

    オウム真理教事件から20年、学ぶべきだった「普遍性」とは 森達也さんに聞く
    whataru
    whataru 2015/05/12
    この人こそ正規の論理に予想と予測が先行してますけど。こうした誰も俺を理解しないという根底感情を履き違える人間は実は彼が言うところの集団化をしやすいという矛盾に気づかないのだろうかと思いますね。
  • 死のうと決めた人にかける言葉はあったのか - 世界は今日も簡単そうに回る

    2015-05-11 死のうと決めた人にかける言葉はあったのか 散文 twitterで遺言めいたツイートをしていたフォロワさんが当に水に入って死んでしまった。 昨日の夜中にそのことを知って(親族の方がツイートしてくださったので)、それからずっと考えてる。 彼が亡くなるおそらく直前までの一連の遺言めいたツイートをわたしはリアルタイムで見ていた。何かかけられる言葉があったのだろうか。でもまだなんて声をかけるべきだったのかわからない。 彼が亡くなった直後に自分のブログでまるでコンテンツのようにその死を扱うことについては自分の中に違和感がある。けれど整理の意味も込めて、少し書いてみたい。 わたしは、死後の世界があるかどうかについて知らない。死んだら当に全部が終わってしまうのかどうかもわからない。生きているのが辛くて死んだ先がもっと辛くない保証なんてどこにもないと思う。死んだことがないか

    死のうと決めた人にかける言葉はあったのか - 世界は今日も簡単そうに回る
    whataru
    whataru 2015/05/12
    彼との繋がりがその程度だったと総括しても虚しいという前に、彼のことを理解しようと今からでも埋めていったら?客観性じゃなく感情麻痺と解離があるとしたら、ここに書かれているのは彼の一部でしかない。