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2009年9月19日のブックマーク (3件)

  • 非コミュの母とコミュの娘

    こないだ母に「あんたって得な性分よね。好き勝手やってるのに他人に好かれてさ…」と言われた。「なにそれ」と突っ込んだら「かけた労力より得るものが大きいでしょ」とか言われた。ああそう、そういう認識なんだなーと思ってしまった。そりゃまあ私は好き勝手やってるように見えるでしょう。行きたくないのに誘われたら断れず出かけていって、にこにこ聞き役に徹して「当につまらなかった」とか帰ってきてから愚痴を言っている母からしたら、行きたくない誘いはばんばん断って、行きたいお誘いだけ出かけていって楽しそうにしている私がそう見えるのは当たり前。でも行きたくないならいかなきゃいいし、行った以上は楽しめばいいというだけの話じゃないの。それにお母さん、私が「ご近所のAさんに以前お土産をいただいたんだから、なにか持っていったほうがいいんじゃないの」とか提案しても「いいわよ、そんなの」とかいって何もしないじゃない。私はその

    white_cake
    white_cake 2009/09/19
    どっちが正しいとか間違ってるなくて、違うやり方を選んでいる人間に向かって「労が少ない」とか言ってしまうことがとてもよくないよね……と思いました。
  • 俺たちこそが力なんだよ――はるかアラスカ最底辺から - そこにいるか

    子供のころのある日、家に帰りつくと大いびきが聞こえてきた。もっとも、父がフリーランスだった僕にとっては普通のこと。なるべく邪魔しないように、一人でおとなしくおやつをべていた。 しかし、しばらくすると玄関ドアの開く音がする。なんと父が帰ってきたではないか。じゃ、じゃあ、さっきのいびき声は、ま、ま、ま、まさか泥棒――? 血の気の多い父と鉢合わせしたら(泥棒が)殺されてしまう! ど、どうすれば穏便にことが済むだろう!? とり――とりあえず包丁を隠さないと!! …… 動揺のあまり我ながら発想がかなり飛躍しているが、なにしろ子供だから仕方ない。包丁を隠しながら、「1 しょうたいふめいのそんざい*1 (0)」を父にどう説明すればいいか考えあぐねる僕の苦労など知るよしもなく、彫りの深い顔立ちの若い男性がひょっこり出てきて、父と普通に言葉を交わした。その人は泥棒ではなかった。そのころちょうど住むところが

    俺たちこそが力なんだよ――はるかアラスカ最底辺から - そこにいるか
    white_cake
    white_cake 2009/09/19
    文中紹介のマックが美味しそうすぎる。
  • 目が節穴の人間ほど、努力を嫌いになりやすい――成果・成功の観測力に関して - シロクマの屑籠(汎適所属)

    http://d.hatena.ne.jp/RPM/20090917/doryoku 私なりに上記リンク先を要約すると、【努力とは、成果が認められてから事後的に認定されるもの・語られるものであって、成果が認められる事前には認定されない・語られえないものである】ということらしい。 なるほど、努力をこのように再定義するなら“成功者ばかりが努力を語り、成功していない者は努力を語らない”という現象が説明しやすそうにみえる。けれども、この見方を突き詰めて考えているうちに、なんともいえない推測に辿り着いてしまった。 それは、 「成果を成果と見抜けないような、目が節穴の人間ほど、努力を嫌いになっていくんじゃないか?」 という推測だ。 目が節穴の人には、成果・成功がみえにくい リンク先の努力の定義について、念のため確認しておこう。 良くいわれる「努力の正体が何なのかわからない」というのは、「現在進行形でお

    目が節穴の人間ほど、努力を嫌いになりやすい――成果・成功の観測力に関して - シロクマの屑籠(汎適所属)
    white_cake
    white_cake 2009/09/19
    一等星しか見えない人の思考って、ものっそいオールオアナッシングですよね。登山の喜びは山頂に到達するまで味わえないわけじゃなく、その過程の一歩一歩にもあるのだと思う。