186 ('A`) 2007/02/07(水) 14:15:59 0 俺「知ってた?犬ってバック(後ろ歩き)できないんだって」 姉「は?犬はバックしかできないでしょ」 もっと純粋な姉が欲しい
「天空の城ラピュタ」のクライマックスで、シータ(よこざわけいこ)が パズーに壁越しに飛行石を手渡そうと必死に手を伸ばして、 「海に捨ててー!」と言った台詞。 シータの必死な思いが伝わってきた。 フルーツバスケットの第25話だったか、神楽(三石琴乃)が言った 「夾の色・・・・・・。」と言い、涙を流すシーンがよかった。台詞を 言う時、神楽の顔を写さなかったので、台詞だけで悲しさを表現 しなければならず、声優の腕の見せ所だった。
漫画ばっか読んでると、どうしても漫画の中の登場人物を参考にして生活してしまいます。参考にというか、お手本にして真似してしまうのです。会話がうまく続かないときとかは特に。あの漫画のあのキャラを真似ればうまくいくかな、とか思ってしまう。実際、日常を送っていても、漫画みたいにうまくいかなくてもやもやしてしまったりするのです。漫画なんかしょせん虚構なのに、そこに現実を見出してしまったりして、現実を見つめられずにいつまでも理想にすがりついてしまう。漫画の世界は作者の理想の世界なのだから、それを現実に適用しようとしたら空気の奇妙なズレが生まれるのは当然なのに、どうしても僕の視点は漫画ベースに働いてしまう。そっけなくしていれば、きっと誰かが俺にアプローチしてくれる!とかあらぬ希望を抱いてしまうのです。理想が描かれている漫画にはまりすぎると、現実と漫画の世界を重ねてしまう癖があるっぽいです。漫画が悪いんじ
http://anond.hatelabo.jp/20070204172408 元を辿るとこの話はナカコー×ジュンジから始まってるのが面白いですね。 ええと、そもそも「腐女子」という言葉から分かるように私達801者の人間には「腐ってるものを扱ってる」意識があります。 原作をホモネタにしてしまうことへの罪悪感、著作権を侵害している罪悪感です。 だから出来るだけ奥へ奥へもぐり、せめて原作を妄想抜きで楽しんでいる純粋なファンに見せず 迷惑をかけないようにしようという意識があります。ナマモノだと特にその意識は強くなります。 J禁という言葉は「事務所禁止」の意でタレントの事務所に同人誌を送るなというナマモノ同人では馴染みの警句ですが、 P禁という言葉も同時にあります。これは「一般人禁止」のことで「一般のファンには見せるな!」の意味です。 オンよりかなり閉じられた世界であるオフでも、更にその中で閉じて
このエントリを作成している途中で「”です・ます”調で書くか”である”調で書くか?」という非常に良質な記事を見つけた。私のエントリは、その記事と比べれば全然文章について的を射ていない。そのことについてご了承願いたい。 「auther」は「reader」より上の存在にあるという仮定高校の教科書に載っていたことなのだが、日本語で一般に「著者」と訳されている「auther」という英単語は、「権威」と訳される「authority」の派生語であるらしい。つまり、権威を持っていなければ書き手にはなりえず、同時に書き手は権威ある存在とみなされるのである。 こういう認識は、戦後の経済発展、さらにはブログや掲示板の普及を経た現代においては疑問に思う人も多いかもしれない。しかし、印刷技術が未発達だった時代においては一冊の本が非常に貴重な存在であっただけに、こういう認識が人々の中に少なからず存在していたのだろう。
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