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春闘と昭和史に関するwhitecat_katのブックマーク (3)

  • 国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    官僚主義に陥る国労という組織 国労は、戦後すぐの昭和22(1947)年に結集された国鉄労働組合総連合会であり、国鉄職員の96%が結集した組合と言われていますが、国鉄の職場は運転・駅業務から果ては、船舶・病院・非現業に至るまで多岐にわたり、昭和26(1951)年には、機関車労組として職能別組合が分裂、その後も同じような職能別への分離が水面下で行われていたようです。 国鉄部内紙、日国有鉄道の記事、「国労松山大会を聴いて」という記事の中で、傍聴した元朝日新聞社論説委員の見解として、国労自身の問題として、いたずらに階級闘争ばかりに拘っている点を指摘しています。 問題は次のようなことである。自分たちの持っている考えこそ、物であり、またそれが階級的であるとうぬぼれて、他の一切のものを受けつけまいとする態度そのものが、自己批判されねばならないということである。他から批判されると、ますます狭い殻の中に

    国労内で民同右派による分裂運動(新潟闘争前) Ⅴ - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
  • 国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    久々に更新させていただきます。 今回は、当時の春闘に関して、国鉄当局・組合の関係を中心にご覧いただきます。 今回は新潟闘争前等、昭和32年(1957)春闘を取り上げています。 国労内にあるいくつかの派閥 今回は鉄労視点とは言いながらも、国労内の動きに注目していこうと思います。国労という組織は機関車労組が分裂したとはいえ、依然国鉄を代表する組合でしたが、必ずしも1枚岩という訳ではなく、大きく分ければ社会党を支持する民同・革同派や、共産党系等が存在していました。 国労という組織の中には、左派と言える革同派とより穏健な民同派があった 1957春闘が、新潟闘争のきっかけとなった重要な位置づけ 特にここで注目したいのは、昭和32年に行われた春闘で、総評の戦術委員会では春闘の決戦時期を3月11日から15日までの連続4日間と指定し、国労・機労も第一派として3月11日、12日と実施することとしていました。

    国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2022/04/13
    国鉄は、好況期牛応対と言われながらも、賃金の決定すらも政府の決定に左右される窮屈なものでした。組合を左傾化させて言った背景には政府の過剰な介入がありました。
  • 春闘のはじまり 第3話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

    久々に更新させていただきます。 今回も春闘の始まりと言うことで、国鉄民主化への道を底にご覧頂こうと思います。 神武以来のストライキ 朝鮮動乱で、経済復興のきっかけを作った日は、順調な経済発展を遂げ、家電製品の(電気洗濯機・電気冷蔵庫・テレビ)が「3種の神器」と言われ、昭和31年7月経済企画庁(当時の名称)から発表された第10回経済白書では、もはや戦後ではないとして高らかに謳っています。 戦後の一時期に比べれば、その欲望の熾烈さは明らかに減少した。もはや「戦後」ではない。我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。回復を通じての成長は終わった。今後の成長は近代化によって支えられる。そして近代化の進歩も速やかにしてかつ安定的な経済の成長によって初めて可能となるのである。 こうして、順調に発展する経済の中で総評は5波にわたる春闘スケジュールを策定したそうで、この闘争に国労も初めて参加する

    春闘のはじまり 第3話 - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
    whitecat_kat
    whitecat_kat 2021/04/12
    総評の「神武以来のストライキ」として打ち立てた方策ですが、結果的には国鉄にあってはさほど大きなうねりになることはなく終了しました。その背景には、良くも悪くも国鉄一家という意識があったと言えます。
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