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国労と賃金闘争の話、国鉄と政府、そして組合と - 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】
久々に更新させていただきます。 今回は、当時の春闘に関して、国鉄当局・組合の関係を中心にご覧いただ... 久々に更新させていただきます。 今回は、当時の春闘に関して、国鉄当局・組合の関係を中心にご覧いただきます。 今回は新潟闘争前等、昭和32年(1957)春闘を取り上げています。 国労内にあるいくつかの派閥 今回は鉄労視点とは言いながらも、国労内の動きに注目していこうと思います。国労という組織は機関車労組が分裂したとはいえ、依然国鉄を代表する組合でしたが、必ずしも1枚岩という訳ではなく、大きく分ければ社会党を支持する民同・革同派や、共産党系等が存在していました。 国労という組織の中には、左派と言える革同派とより穏健な民同派があった 1957春闘が、新潟闘争のきっかけとなった重要な位置づけ 特にここで注目したいのは、昭和32年に行われた春闘で、総評の戦術委員会では春闘の決戦時期を3月11日から15日までの連続4日間と指定し、国労・機労も第一派として3月11日、12日と実施することとしていました。
2022/04/13 リンク