新選組の頂点『局長』であり、本来無法者の集団に過ぎない新選組を 一大組織へまとめ上げた世にも稀な手腕を持つ男。 しかし新選組の屯所には滅多に姿を現さず、 隊長格でさえ近藤の顔を見たことがない、という者がいるほど。 そのため、近藤については隊士の間でも噂が絶えず、 『昼間から遊郭で飲んでいる』と言う者もいれば、『近藤は実は既に死んでいる』などと言う者もいて、 憶測が飛び交わっている。 果たして、龍馬の前にこの男が姿を現わす時は来るのか…… ■史実における人物像 ■生没年1834~1868年、農民出身 近藤勇は武士の家柄ではなく、多摩(東京)で農業を営む3男として生まれる。 15歳のときに江戸市ヶ谷にあった天然理心流(てんねんりしんりゅう)道場の試衛館に弟子入り。 わずか七ヶ月で目録を与えられ、剣術の才能があったようだ。 道場主の近藤周助には実子がいなかったので、養子として迎えられて 1861