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敗戦後初の帝国議会開院式で昭和天皇が述べた勅語の起草過程が、国立公文書館に保存されている資料から明らかになった。当時の東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)首相らが検討を重ねた結果、第1案にはなかった「平和国家ヲ確立」という新たな目標が掲げられることになった。 勅語が読み上げられたのは、日本が降伏文書に調印した2日後の1945年9月4日に開会した第88回帝国議会。同年8月15日の「終戦の詔書」(玉音放送)に続く天皇による直接のメッセージで、戦後日本の進む道を示した「平和国家」という言葉はその後、日本社会に広く浸透していった。 国立公文書館に保管されている資料は「第八十八回帝国議会開院式勅語案」で、第1案から第4案まである。赤字で修正が加えられ、修正した人物の名も記されており、45年9月1日に閣議決定されるまでの流れがわかる。同館のデジタルアーカイブで公開されている資料の中から朝日新聞記者
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