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![算数レベルのミス続発「伝説の東大入試」がこれだ](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/4f4d898d8a34184936f9149fd6a683bc1848a383/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftk.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fd%2F4%2F1200w%2Fimg_d4706b9d209369b0b7b93c7bfa2dc6bc455126.jpg)
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経度 経度の歴史(けいどのれきし)では、経度にまつわる歴史について記述する。 経度という概念は緯度とともに古代から存在したが、基準に基づく経度の測定は緯度と比べて難しく、正確に求められるようになるまでには長い年月を要した。 また海上で航海に必要とされる精度で経度を求めることは歴史的に困難な課題だったが、クロノメーターの開発により実用上解決された。経度の基準も、ロンドンのグリニッジ子午線を基準(本初子午線)として世界中で採用された。 エラトステネスの地図(19世紀に再現されたもの) 地図を経線と緯線で区切って、その座標で各地点の位置を表すという発想は古くから存在した。古代に地球の大きさを求めた地理学者エラトステネスは、シェネ(アスワン)とアレクサンドリアを結んだ線を基準として、それと平行に数本の直線を引いた地図を作成した[1]。ただしこの線の間隔は現在の地図のように等間隔ではない。また、基準
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