アフリカの南スーダン国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊部隊が、首都ジュバで七月に大規模な武力衝突が発生した際の状況を記録した日報が、廃棄されていたことが分かった。陸自の文書管理規則が定める三年間の保存期間に満たない。治安が悪化する同国でのPKOは派遣要件を満たしていないと疑問視する声が強いが、日報の廃棄でさらに批判が高まる可能性がある。 南スーダンPKOは半年ごとに部隊が交代しており、七月に活動していたのは十次隊。ジャーナリストの布施祐仁(ゆうじん)氏が情報公開法に基づき、同月七~十二日の日報を九月末、防衛省に開示請求したところ、今月二日付で「既に廃棄しており、保有していなかった」とする通知を受けた。 同省によると、陸自の文書管理規則では、PKO関連文書の保存期間の基準は三年間。一方で「随時発生し、短期に目的を終えるもの」や「一年以上の保存を要しないもの」は、例外的に一年未
橋下発言が圧倒的なので、比較的目立たないが、忘れてはならない問題な発言がある。 安倍首相は4月23日の参院予算委員会で「侵略の定義は定まっていない。国と国との関係で、どちらから見るかで違う」と答弁したそうだ。 これには驚いた。国連等において、侵略の定義は明らかに決まっていて、日本もその決定過程に参加し、賛成してきたからだ。 まず、1974年の国連総会では、日本も参加・賛成して侵略の定義に関する国連総会決議が採択され、侵略が明確に規定されている。 決議3314という有名な決議だ。和訳については外務省定訳がないようであるが、ウィキペディアは以下のように訳している。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E7%95%A5%E3%81%AE%E5%AE%9A%E7%BE%A9%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B1
中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。◇ 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」に「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明ら
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