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ブックマーク / politas.jp (6)

  • 「誰も政治を教えてくれなかった」人たちへ(出口治明)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか

    この記事はクリエイティブ・コモンズ 表示 4.0 国際ライセンスの下に提供されています。 このテキストの印刷用PDFはこちらからダウンロードできます。 自分のアタマで考えよう 最近の日お金がある人とない人の格差が大きくなり、若者や子どもの貧困が問題になっています。現在貧困に近い生活を送っている人は、どうやってそこから抜け出せばいいのでしょうか。 私が代表を務めるライフネット生命には、高校を中退して働いていたものの、通信制の高校に通い単位を取得、その後、一念発起して大学試験を受けて大学に入り、入社した社員がいます。 しかし、身も蓋もない言い方ですが「受けた教育のレベルが低いと、いい仕事につける確率はぐんと低くなる」というデータがあるのも事実(労働政策研究・研究機構「ユースフル労働統計2015」)。中卒と大卒とでは、生涯賃金に1億円近い差があるのです。 この国には小学校にも行けていない子ど

    「誰も政治を教えてくれなかった」人たちへ(出口治明)|ポリタス 参院選・都知事選 2016――何のために投票するのか
    witchstyle
    witchstyle 2017/10/03
    (2016/07/03の記事)
  • 辺野古に暮らす私たちの願い(飯田昭弘)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題

    2014年11月の県知事選挙で、翁長さんが10万票差をつけて勝ちました。割合でいうと、県民の6割が翁長さんを支持し、4割は支持しなかったということになります。翁長さんが勝ったことで、辺野古の地域的に大きな変化がもたらされたかというと、あまり状況は変わっていません。 翁長さんは現政権の「粛々」という言葉に強い抵抗を示しましたけど、私はウチナーンチュであると同時に日人としての自意識も持っています。国防や国益論を前面に打ち出して「辺野古に基地が必要だ」と言われたら、それを全否定することはできないです。とはいえ、基地が来るなら来るで、土足で来られるのは困ります。珊瑚をつぶして海を埋め立てる。騒音被害をまき散らすオスプレイを配備する。誰が見たって、心情からいうとそれは来てほしくありません。私だって音を言えば基地はいらない。 Photo by PIXTA これは沖縄に限ったことではなくて、みなさん

    辺野古に暮らす私たちの願い(飯田昭弘)|ポリタス 沖縄・辺野古――わたしたちと米軍基地問題
  • 誰にも保障できない100,000年後の安全(津田大介)|ポリタス 原発“新設”の是非

    章『「核」か「原子力」か』では、原発そのものの問題ではなく、放射性廃棄物や核燃料サイクルの今後、核抑止力や安全保障といった日の原子力政策にまつわる諸問題にフォーカスして、さまざまな観点から専門家に分析してもらった。 1つ目の記事は2009年に公開された放射性廃棄物処理を巡るドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を監督したマイケル・マドセン監督へのインタビューだ。現在原発から出た高レベル放射性廃棄物を最終処分するための施設「オンカロ」がフィンランドのオルキルオト島に建設中だ。放射性廃棄物を地層処分し、10万年間保持するように設計されたこの施設は、廃棄物が一定量に達すると施設は封鎖され、二度と開けられることはない。しかし、10万年という想像を絶する未来に暮らす人々に、その危険性を確実に伝える方法はあるのか——圧倒的な映像美と精緻な関係者へのインタビューによって構成された同作品は公

    誰にも保障できない100,000年後の安全(津田大介)|ポリタス 原発“新設”の是非
  • あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    あの戦争とは何だったのか。 あれが「防衛のための戦争」であったという見方は根強くある。しかし他方で、あれが「侵略戦争だった」と言われれば、そう思われる歴史的な筋もないことはない。 そのように世の中を二分するような全く異なる見解があるとき、正邪を軽々しく論ずるわけにはいかない。いずれの立場にも考えがあり、部分的に見ればそれぞれの主張には論拠があるからだ。あの戦争の背景にはかなり複雑な要因があった。それは、70年の時を経た今なおそう思う。 一口に言えば、日人はそもそも浮き上がっていた。それは誰も否定できないはずだ。 私もその中の一人である。1941年の末に太平洋戦争が始まり、まだ20歳にも満たなかった感受性の強い時分の私は、いわゆる「興亜青年」のはしくれだった。「日は神国である」という極めて単純な考え方──あまりに神がかり的で、独善的な思想がその背景にあった。 そもそも日の近代とは、欧米

    あの戦争を生き残った私からあなたへ(飯田進)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
    witchstyle
    witchstyle 2015/12/31
    (2015/12/31の記事) ニューギニア戦線を生き延び、BC級戦犯としてゲリラ処刑の罪に問われ「重労働20年の刑」を受けていた人の言葉。
  • 認識は常識から——最低限、母国語が通じる日本であってほしい(三浦俊彦)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    国家や民族の質はやはり言語でしょうね。たとえば日国に属して日文化を誇りに思うためには、日語が正しく機能していなければなりません。ところが、簡単な単語が組み合わさっただけで日語が俄然怪しく見えてきて、「俺は日を愛せるのか、愛するどころか恥ずべきではないのか」と自信が揺らいでくるのだから厄介です。 最近は「歴史認識」という言葉ですかね。「国や民族ごとに解釈の違いがあって当然」「正解は立場次第」みたいな一種ものわかりの良さが漂う言葉……。だいぶ前のことですみませんが、昭和天皇が「そういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりません」と宣ったシーンが思い起こされます。 あの頃はともかくとして昨今「歴史認識」と呼ばれる争点(?)のいくつかは、「認識」などと言い立てるまでもない「常識」でしょう。辞書を見ればすむレベル。難しそうな装いに値しないナマの事実。 たとえばアジア・太平洋戦争

    認識は常識から——最低限、母国語が通じる日本であってほしい(三浦俊彦)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
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    witchstyle 2015/10/17
    (2015/10/16のエントリ)
  • 快晴の空と自由 (計見一雄)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ

    70年前、私は5歳だった。その日の快晴で雲一つない空と暑い日差しははっきりと記憶にとどまっている。日戦争に負けたという事実の意味がわかってきたのはしばらくしてからである。その日に続く日々で今でも強い印象を残しているのは、自由という感触である。なんにもない、い物はサツマイモとカボチャだけ、タンパク質の補給は田んぼで捕まえるザリガニと川で釣る小魚くらいのもの。なんにもないが、自由だけはありあまっていた。 Photo by Urawa Zero(CC BY 2.0) 無論、自由などという抽象語は後で覚えたものだが、まさにあれが自由というものだったと、70年間疑ったことがない。おそらく当時無事に生きていた子供たちは皆同感だろうと思う。こういうことを書くと、その後知った大勢の戦災孤児や私が中年になった頃にようやく帰国できた同年配の中国残留孤児たち、無数にあったであろう餓死した子供たちには済まな

    快晴の空と自由 (計見一雄)|ポリタス 戦後70年――私からあなたへ、これからの日本へ
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    witchstyle 2015/08/13
    (2015/08/12のエントリ)
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