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ブックマーク / ameblo.jp/genkaiken (4)

  • 『戦争を描くアニメとしての『魔法少女リリカルなのはStrikerS』』

    戦争を描くアニメとしての『魔法少女リリカルなのはStrikerS』 小森 健太朗 筆者は、このたび刊行された『サブカルチャー戦争』に、「Wから00へ」と「モナドロギーからみた『図書館戦争』」という二の論を寄稿している。前者は、主に「ガンダムSEED」連作、後者は有川浩の『図書館戦争』シリーズの考察を主題とするものだ。もともと私がこの論集に寄稿しようと思っていたのは、ゼロ年代のアニメの中で、戦争の描きかたが悪い三大ワーストアニメとして、《ガンダムSEED DESTINY》《図書館戦争》《魔法少女リリカルなのはStrikerS》の三作品をあげたことがあり、その三作の戦争観について考察するものだった。その過程で、「ガンダム」に関しては《ダブルオー》も視野に入れて考えた方がよく、さらに、比較考察のためには90年代のヒット作である《ガンダムW》も視野に入れた方がよいという考えから、独立した論を書く

  • 『人間と動物をめぐって――ギィ・ブルダン小論』

    笠井潔・小森健太朗を中心として、20代の若手評論家が集まって結成された批評集団・限界小説研究会のブログです。 人間と動物をめぐって――ギィ・ブルダン小論 渡邉大輔 【筆者より】 稿は、ブログでこれまでにも同様のアーカイヴ原稿が公開されてきたように、過去に限界小説研究会がウェブ上で運営していたレビューサイト<限界小説書評>のために執筆した美術展評である。今から四年も前の原稿を二〇一〇年代の劈頭に公開することにはむろん、筆者としてはかなりの面映ゆさが伴うが、最低限の加筆修正を施したほかは、あえてほぼ初出の状態で公開することにした。公開にあたって久しぶりに自分の原稿を読み直してみたが、ここにはよくも悪くも執筆当時(二〇〇六年)、いまだライトノベル・ブーム、セカイ系ブーム、萌えブームのさ中にあったいわゆる「ゼロ年代の批評」の問題系がそこかしこに色濃く反映されている。現在のブログの読者には、「ゼ

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    wssws 2010/08/15
  • 『階級形成論の方法的諸前提(第六回)』

    笠井潔・小森健太朗を中心として、20代の若手評論家が集まって結成された批評集団・限界小説研究会のブログです。 階級形成論の方法的諸前提(第六回) ブルジョワジーの階級意識に次いで、われわれはプロレタリアートの階級意識の考察へと前進しなければならない。プロレタリアートの階級意識こそが知の全体性の内容に他ならないからである。 プロレタリアートの階級意識は実現されていないものである。ルカーチは『歴史と階級意識』第三論文の冒頭に「ここでは、このまたあのプロレタリアートが、あるいはプロレタリアートの全体さえもが、その時々に何を目的として頭に描いているかが問題なのではない。問題なのは、プロレタリアートが何であるか、またこの存在に応じてプロレタリアートが歴史的に何をなさざるをえないか、ということである」(註1)というマルクスの文章を引用している。ルカーチにとって、プロレタリアートの階級意識は、その心理学

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    wssws 2010/07/17
  • 『『最終兵器彼女外伝集 世界の果てには君と二人で』 /「セカイ」の果てから「せかい」へ』

    笠井潔・小森健太朗を中心として、20代の若手評論家が集まって結成された批評集団・限界小説研究会のブログです。 『最終兵器彼女外伝集 世界の果てには君と二人で』 /「セカイ」の果てから「せかい」へ 前田 久 作は2000~2001年にかけて小学館の雑誌「ビッグコミックスピリッツ」に連載された『最終兵器彼女』(ビッグスピリッツコミックス、全7巻)の外伝集である。とはいえ、「外伝」と銘打っていることからもわかるように、世界観は共通しているものの、作だけで独立した作品として読み解くことが可能な作りになっている。 ■ しかし、『最終兵器彼女』(以下、『サイカノ』)という作品の位置付けについて、念のため解説しておこう。ある日突然開始された戦争の中で、最終兵器に改造された少女・ちせと、その恋人・シュウジの純愛と、壮大なスケールの結末を、大状況に翻弄される人々の姿を交えながら描いた『サイカノ』は、新海

    『『最終兵器彼女外伝集 世界の果てには君と二人で』 /「セカイ」の果てから「せかい」へ』
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    wssws 2010/07/10
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