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文章と差別に関するwuzukiのブックマーク (3)

  • 差別語の三相を見つめて適切に距離を取る - やしお

    小説を商業出版することになり、これまで自分で書いて見直すだけだったのが、編集者・校正者による校正・校閲のプロセスを初めて体験した。その過程で差別語・差別表現に関しての指摘を受けて、改めて自分の中での判断について少し整理しておきたいと思った。 ある言葉が持つニュートラル、ネガティブ、ポジティブの三相を同時に見ないと、「その言葉をここで使うのが適切か」は判断ができないけれど、三相のうち一面しか見なかったり知らなかったりすると正確に判断ができなかったり、話が噛み合わなくなったりする。 指摘を受けた点1 「発狂」や「狂人」に指摘が入った。 江戸時代に実在したという届出「発狂扱ひ」に言及した箇所に指摘が入った時はどうしようかとも考えて、「精神状態の異常による行動という届け出」と言い換えた。 明治時代に精神障害者が「狂病者」と呼称され、「狂」に否定的・差別的な意味あいが付与されてきた。1970年代に「

    差別語の三相を見つめて適切に距離を取る - やしお
    wuzuki
    wuzuki 2024/04/22
    読めてよかった。これでこそ編集・校閲の仕事だ。「著者としての信用がない立場」という点までは、なかなか考えが及ばないものな。私も以前、イベント告知に使った表現について友人から指摘を受けたのを思い出した。
  • 「世の中の理不尽さ」や「不都合な真実」を強調して、それでどうするの?(読書メモ:『ただしさに殺されないために』) - 道徳的動物日記

    ただしさに殺されないために~声なき者への社会論 作者:御田寺圭 大和書房 Amazon いま執筆を進めている「反ポリコレ」の参考になるかと思って『ただしさに殺されないために〜声なき者への社会論』を読んでいるけれど、案の定、まったく面白くない。 Amazonレビューにもある通り、「身もふたもない現実」や「不都合な真実」、世の中に存在する残酷さや不条理さを指摘するだけであり、その現実や不条理さについて社会はどう向き合うべきか、個人はどうやって対処するべきか、といった前向きな提言や解決策はほぼない*1。 さらに言うと、こののなかで提示されている「現実」や「真実」は実に恣意的に選択されている。たとえば、昨今では男性に比べて女性だけが解放されたり社会的に尊重されていたりすることを何度も取り上げて、そのことが(弱者である)男性に対してもたらす苦痛や苦悩や理不尽さといったものが繰り返し強調されるが、

    「世の中の理不尽さ」や「不都合な真実」を強調して、それでどうするの?(読書メモ:『ただしさに殺されないために』) - 道徳的動物日記
    wuzuki
    wuzuki 2022/06/17
    白饅頭氏の本やシロクマ先生の批判として興味深い記事。しかし一方で私はRice氏の記事からも「問題の指摘としては真っ当だけど、前向きな提言がないな」と感じることは多々あるので、彼らとは方向が逆なだけな気も。
  • 自分について”書く”ことと、”書かせる”ことのあいだで考えたいこと|idanamiki

    朝日新聞が運営するウェブメディア『かがみよかがみ』において、11月20日に公開された社会学者上野千鶴子氏とライターの対談記事がネット上で批判を浴びている。 上野千鶴子が、労働である「セックスワーク」とプライベートなセックスとを並置し、前者を「肉体と精神をドブに捨てる」行為だと否定的な言葉で説明した。批判の焦点は主にそこにある。 今回の批判において強く発言している方もメンバーに含まれるSWASHが編集した『セックスワーク・スタディーズ』(日評論社/2018.9)には、社会的にスティグマを押し付けられてきたセックスワーカーが、それらが正当な労働とみなされず、非難の対象になるか、あるいはその人自身の意志や主体性を尊重されずに「かわいそうなひと」としてスティグマ化されてきたこと、それゆえに安全な労働環境の整備が遅れ、差別の対象になってきたことが論じられている ※1。 「男に求められてするセックス

    自分について”書く”ことと、”書かせる”ことのあいだで考えたいこと|idanamiki
    wuzuki
    wuzuki 2019/11/27
    自分語りについての批判。「かがみよかがみ」は、エッセイを募集する一般女性の対象年齢が若いことが少し気になってる。文学作品等にも言えるけど、若い女性の内面を描いたものは高い関心を持たれやすいわけで。
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