永久保存処理を施され、中国・北京中心部の霊廟に安置されている毛沢東の遺体は、今も多くの人々が拝観に訪れる。最高指導者として毛の跡を継いだ鄧小平は、遺灰を海に撒かせた。その後の中国指導者たちはさらに控え目だった。 だが、毛沢東に対するのと同様の個人崇拝を現代中国に蘇らせることが可能だと考えた政治家がいた。「太子党」(党高級幹部の子息)の一人で重慶市の党委員会書記を務めていた薄熙来(ボー・シーライ)だ。結局、彼の考えは間違いだったようだ。 薄は数カ月前まで、今秋の党大会で最高指導部・政治局常務委員会に入ると目されていた人物。中国政界の新星だった。彼の攻撃的な政治手法は、重慶市民には人気だった。開発を促進し、貧困層に優しい政策を推進したからだ。同時に、毛沢東を想起させる革命歌や銅像やスローガンを使ったりしていた。 すると2月に、薄の部下である王立軍(ワン・リーチュン)副市長・前公安局長が米総領事
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く