線量定点測定の一例(JR新宿駅中央東口交番前) 東日本大震災から3年が経過し、被災地は一歩一歩確実に復興への道を歩んできた。しかし、福島第一原発の周囲の市町村では、いまだ「帰還困難区域」「居住制限区域」が解除されることはない。 事故直後の2011年3月12日から月末にかけて福島第一原発からバラまかれた放射性物質には、「半減期」が約30年のセシウム137だけでなく、大量のヨウ素131(約8日)とセシウム134(約2年)も含まれていた。そして、その除染は遅々として進んでいない。 また、放射性物質は風に乗り、200km以上離れた首都圏にも降り注いだ。原発事故が起きる前、主に「放射線医学総合研究所」が1960年代から1990年代前半にかけて実施した「全国線量調査」では、都内の線量は0.02~0.03μSv/h(マイクロシーベルト毎時。人体の被曝量単位。以下、「μ」)だった。だが、2011年3月15