ブックマーク / katoler.cocolog-nifty.com (2)

  • 無差別殺人の時代、ノーカントリーな日本を生き延びろ! - カトラー:katolerのマーケティング言論

    コーエン兄弟の「ノーカントリー」を地元のシネコンで見たのは、土浦の駅頭で24歳の男が無差別殺人を引き起こす一週間前だった。 もし、事件が起きた後だったら、スーパーの袋をぶら下げた主婦が行き交い、土浦と同じような日常風景の中にあるシネコンで、こんな映画はとても見る気にならなかっただろう。 映画「ノーカントリー」の舞台となっているのも、殺人事件などとは縁遠いはずの、メキシコの国境にほど近いテキサスの、のどかな田舎町だ。米国も日映画の世界だけではなく、日常の時間が流れている郊外の町中で、凄惨な無差別殺人が起きる時代になってしまった。 「ノーカントリー」に先立って、2002年にマイケル・ムーア監督が、コロンバイン高校で起きた銃の乱射事件を題材に「ボウリング・フォー・コロンバイン」という作品を制作した。この作品でも無差別殺人が、主題になっていたが、メッセージの中心は、銃が野放しの「銃器天国」とし

    無差別殺人の時代、ノーカントリーな日本を生き延びろ! - カトラー:katolerのマーケティング言論
    xlc
    xlc 2008/04/10
    「理由なき殺人を易々と行える人倫無きモンスターを、この国や米国のような高度な資本主義社会が生み出しているという現実こそが問題なのである。」
  • アジアにおけるジャパンパッシングと夜郎自大な日本 - カトラー:katolerのマーケティング言論

    先週、駆け足で香港と台北を回った。 その中で強く印象に残り、なおかつ懸念されたのは、アジアにおける新たなJapan-passingが進行しているのではないかという問題だ。 ジャパンパッシング(Japan-passing)とは、中国重視に傾いた民主党のクリントン政権下で採られた政策で、かつてのジャパンバッシング(日叩き)からジャパンパッシング(日外し)へと言われたものだった。この時にいわれたpassingとは、「米国が日を外す」ことを意味した。 しかし、今回は違う。香港と台湾は、東アジア圏におけるポジションや日との関係も異なっているが、奇しくも一致したのは、「日」の存在感が著しく低下しているという指摘だった。米国ではなく、アジア諸国からpassingされているのだ。 メインランドへの依存を強めた香港 香港は、返還後10年を経て中国土との繋がりをこれまで以上に強めている。返還に際し

    アジアにおけるジャパンパッシングと夜郎自大な日本 - カトラー:katolerのマーケティング言論
    xlc
    xlc 2007/07/16
    アジアに日本が無視される
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